〈特集・ウリハッキョの今〉西東京第1初中/惜しみない愛情が礎に
2016年10月17日 11:53 民族教育東京都の西側に位置する広範な多摩地域から児童、生徒らが集う西東京朝鮮第一初中級学校。ある卒業生は胸を張り、またある卒業生は哀愁に浸りながら、1989年まで「三多摩」(北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡のかつての総称)の名を冠していた同校を「たまいち」と呼ぶ。言葉の一端からは色褪せない母校愛がうかがえる。
学び場があるだけで
かつて軍需産業、貯水池建設、地下壕掘削などの強制労働に従事していた同地域の同胞たちは、祖国解放の喜びに沸き返ると10余カ所以上に国語講習所を開設。46年4月に立川、府中、槿花(調布)、西多摩(福生)、八王子、町田、武蔵野(三鷹)、二宮などに朝聯初等学院が整備された。
同校の母体は「立川朝聯初等学院」(4月10日に開設)。柴崎町の個人宅で10人ほどの児童を集めて朝鮮語を教え、八王子と二宮の学院を統合した後は錦町のアパート2階に教師3人、児童50~60人が集まって授業を行ったという。