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東京朝鮮歌舞団創立50周年記念公演

2015年11月17日 10:54 文化・歴史

いつの日も変わらず、同胞と共に

東京朝鮮歌舞団創立50周年記念公演では、創立当初から今日まで約100人におよぶ団員たちによりつながれてきた50年の歩みと未来への希望を、歌、踊り、語り、映像で表現した。

歌とはなし「同胞と歩んできた50年」

歌とはなし「同胞と歩んできた50年」

闘争現場での公演

総聯結成から10年を経た1965年3月23日、全国歌舞団の先駆けとして東京朝鮮文宣団(歌舞団の前身)が結成された。団員は総聯本部や支部、事業体で働く芸術的素質の高い若者たち7人。2年後には「東京朝鮮歌舞団」に改名した。初代団長の金黄英さんは、「団員は私以外、みな在日2世で、総聯の機動宣伝隊として迅速に公演活動を行うため猛特訓を受け、カヤグムを弾く指に包帯を巻いている者もいた」と語る。(2005年談)。

名司会者、金元子さんと5代目団長の李東燮さん

名司会者、金元子さんと5代目団長の李東燮さん

草創期のメンバーである文月仙さん(68)は、当時、東京歌舞団には12人の団員がいたが、そのうち朝鮮学校卒業生は3人だったと話す。歌舞団の朝は朝鮮新報の学習から始まった。「大半が日本の学校を卒業して、朝鮮の文字を満足に読めないようなレベルだったから、午前中は新報を見ながら朝鮮語を学んだ。朝鮮語の等級制試験というのもあった」。公演のたびに、韓徳銖議長が団員一人ひとりに対して評価をした。「君の下手くそな朝鮮語のせいで公演が台無しだ!」とはっきり叱咤された団員もいる。「そしたらその子は発奮するでしょ。それでまたがむしゃらにウリマルの練習をするの」と文さんは言う。

祖国への往来が実現されず、帰国船も月に1度行ったり来たりしていた時代。「だからしょっちゅうデモや集会に参加して、歌舞団が先頭に立って歌の指導や宣伝活動をした。舞台と言うより、闘いの現場での活動が主な仕事だった」。

歌舞「ウリチャンダンニルリリ」

歌舞「ウリチャンダンニルリリ」

祖国へのあこがれに胸を焦がしていた同胞たちのために、総聯では朝鮮映画の上映会や時局講演会を盛んに行っていた。卞春姫さん(73)は「総聯中央から方針が打ち出されると、その日のうちに寸劇や演劇の練習をして、団員が二手に分かれて活動した」と話す。同じ日にあちこちの分会で時局講演会が行われるため、歌舞団が到着すると「ちょっと中断しよう」と講演を中断して宣伝活動を優先させた。上映会も途中で止める。歌舞団の宣伝を聞いて、また映画を続けるといった具合に。いろんな所で歌舞団が到着するのを待っていた。当時の朴在魯副議長は、歌舞団の公演を見るのが時事性もあるし、面白いし、政治講演よりよっぽど頭に入るとよく話していたという。

公演は常にタイムリーなものを手がけていた。朝、朝鮮新報に書かれた内容をそのまま取り入れる。「語りがメインで掛け合いがいっぱいあって、必死に憶えた。分会では、本当に目の前に観客がいた。ある時、公演中に銀バエが飛んで来るのだけど、それが合い方の鼻の横に止まったりして。それも良い思い出」(文さん)と振り返る。

男声重唱「月日よ流れたまえ」

男声重唱「月日よ流れたまえ」

祖国の便りは朝鮮新報を通して仕入れた。短波ラジオで平壌放送を聞く運動もあった。文さんもテープレコーダーで録音した平壌放送を繰り返し聞きながら朝鮮語の発音を練習した。芸術的な技量を高める必要があったため、毎年ピアノやカヤグム、ウリマルの指導を受けた。そうして、北海道、東北、東京、神奈川、東海、大阪、兵庫、山口、広島、福岡などの歌舞団員たちが活動していた。

当時は歌舞団専用バスもなく、今のようなキャスターつきのカバンも、ボストンバッグも高価で手が出せなかった。人件費7千円の時代。風呂敷に衣装を包んで、カーテン地でカヤグムのケースを縫って、アコーディオンやチャンゴを持ち運んだ。だから、タクシーを止めるのが大変だった。夜遅く公演を終えて、荷物を持って事務所に帰るのに、あまりの荷物の多さにタクシーが止まってくれない。康美仙(66)さんは「女の子がタクシーを先につかまえて、止まったら男の子が荷物を運んできて詰め込んだ。運転手はビックリ。1台じゃ無理だから。チャンゴとカヤグム、8台はあるからね。1人だけ前に乗って、あとは電車で移動した」と話した。

その後、67年に同胞商工人がはじめて歌舞団専用バスをプレゼントしてくれた。歌舞団バスも同胞たちの支えの中、今では5台目が走っている。

新たな可能性を探る

50年の節目を向かえ、往年の元団員たちとステージを共にした現団員たちは身の引き締まる思いで舞台に臨んだ。

二人舞「鈴太鼓の舞」

二人舞「鈴太鼓の舞」

入団4年目で舞踊責任者を務める崔安淑さん(24)は、元団員たちとの練習は歌舞団の存在意義を知る日々だったと言う。今回、オープニングの創作を任され、プレッシャーに押しつぶされそうになったとき、元団員たちと話しながら歌舞団の歴史に残る舞台の重みを考えるようになった。「同胞の支えの中で活動を続けてきた歌舞団は、先代たちの一日一日があってのもの。それを今、私たちが受け継いでいく使命を担っていると痛感した」。

5年目の舞踊手・尹美由さん(23)も「4月に皆で決起集会をしてから、互いに励ましあってきた。現役、元団員に関係なく、追求してきたものは『同胞に届ける舞台を成功させよう』という気持ち。今日は日頃の感謝を伝え、決意を新たにする、そんな舞台だった」と語った。

カヤグム併唱「錦繡江山 我が祖国 美しく彩る」

カヤグム併唱「錦繡江山 我が祖国 美しく彩る」

新入団員の歌手、白槿実さん(20)は、「継承していかなければならないというプレッシャー、不安、技量の足りなさで心の中に焦りがあった」と打ち明けた。「50周年を迎える年に入団してこの公演を経験できたことに、感謝の気持ちでいっぱいだ。新しい一歩を踏み出す今日、先代や観客からたくさんのことを吸収して、これからの歌舞団の発展につなげていきたい」と意気込んだ。

歌手の朴成熙さん(28)の話も入団8年目の先輩として責任感にあふれるものだった。

「この間、団員たちが悩んだり、行き詰っていたら、手を差し伸べてくれる元団員たちの姿があった。歌舞団の存在価値は同胞社会のなかにある。私たちにとっては、今日を機にこれからどう活動するかが大事だ」と力強く話した。

新たな一歩を踏み出す歌舞団を今後も日本各地の同胞とファンらが応援し、見守っていくだろう。

(文・金潤順、韓賢珠、写真・李哲史)

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