虐殺の地・南京を訪ね
2015年11月18日 16:40 歴史“恐れるのは歴史の改ざんと忘却”
歴史的事実伝える博物館
うす曇りの南京市街に出て、人々と同じように熱々の肉饅をほお張る。
「自分はいま南京にいる」。その実感は、まだない。
最初の緊張はすぐに訪れた。信号待ちの女性に「ウォーシーリーベンレン(我是日本人)」と声をかける。すかさず「我欲行大屠殺博物館」と書いた、デタラメな(しかし意は通じるであろう)メモを差し出す。彼女の顔色がどう変わるか、凝視する。特に表情を変えないまま言葉を連ねるその女性は、意味をまったく理解できていない日本人の適当な相づちには目もくれず、(私が事前に調べていた)博物館への道とは逆の方へ導こうとする。「やはりリーベンレン(日本人)はまずかったかな」。
かすかな不安がよぎる。
その前日。上海の空港に降り立ち、最初に発した言葉は日本語だった。空港の両替所で私に声をかけてきたのは、北京大への留学経験をもつ、日本人の大学生。計画立てて旅する事が苦手な私は、彼に「オススメの観光地」と「この国での振る舞い方」についてのレクチャーをたまわる事になった。留学経験があり言語能力も高く「ウルムチなんかもいいですよ」などと、旅慣れした感の彼が発した“忠告”が耳に残った。「南京では自分は『華僑』で通していました」。「日本人」を自称する事がはばかられる地、南京。それを聞き、がぜん、その場所に身を置いてみたいとの意を強くしたのだった。
翌朝。声をかけた女性に導かれるまま、15分ほどでたどりついたのはバス停。徒歩で行くには遠いと踏んだ彼女は、目的地とは逆方向に位置するバス停まで連れてきてくれたのだった。拍子抜けすると同時に、少し疑った事への申し訳なさでいっぱいになる。彼女が大声で運転手に何か聞いている。声が届かないと気づくと、そのほこ先はバス停にならぶ人々の列に向けられた。すると一人の若者が反応し、彼女は「彼について行きなさい」と言う(ボディランゲージで「理解」)。英語ができる高校生の張君はこの後、見知らぬ日本人の4時間におよぶ展示閲覧につき合わされる事を、まだ知らない。
日本語の音声ガイドを聞きつつ、張君に英語で問いかけた博物館での4時間で得た印象は、いわゆる「反日教育の拠点」という類いのものではなかった。時に生存者の言葉で、時にのこされた遺品で、時に発掘された遺体そのもので、歴史的事実を“たんたんと伝えていた”(ある例外を除いて)。それを象徴するように展示の最後に、ある一節が大きくかかげられていた。「前事不忘 后事之帰」。過去を忘れず後世の戒めとなす、とでも解せようか。