〈ウーマン・ヒストリー 8〉女性仏教運動の先駆者/禹鳳雲(下)
2015年08月21日 14:08 文化・歴史仏教運動から社会主義運動へ
「朝鮮仏教青年会」は僧侶中心の活動団体であるのに対し、禹鳳雲が会長を務めた「仏教女子青年会」は新式教育を受けた在家女性中心という点において特殊であった。仏教女子青年会創立以後、最も力を注いだ事業が女性教育であった。能仁女学院が主な活動拠点であった。 能仁女学院は貧民女性らのために1922年10月9日開学した能仁女子講習会がその始まりである。 校長は禹鳳雲自身が務め、教育部の幹部5~7人が教育を担当した。鍾路区の会館を賃貸して庶民の女性たちにも教育の機会を提供した。彼女は校長として活動しながらも、中年層女性仏者などを対象に仏教教理教育も行った。当時、学生は150人、教師は6人だった。そして若い女性は昼間に、主婦たちは夜間に授業を受けた。しかし経営権が日本寺刹である西本願寺の京城別院に移転すると、禹鳳雲をはじめとする教師たちは辞職させられ、他の教員が採用された。その時、能仁女学院の2、3、4学年に在学中の女子学生たちは、禹鳳雲先生らでなければ授業を受けないといって同盟休学をしたのだった。そんな事があった後、鳳雲は自らで建てた愛着あるこの学校を離れることとなった。