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〈“歴史歪曲”の現場から〉長野県・松代大本営

2015年04月08日 16:28 歴史

広まる地方自治体の自粛

ガイドを務める「保存をすすめる会」の北原高子さん

ガイドを務める「保存をすすめる会」の北原高子さん

説明看板修正の経過

「強制的に」の部分に粘着テープが貼られた説明看板(2014年10月19日李東浩記者撮影)

「強制的に」の部分に粘着テープが貼られた説明看板(2014年10月19日李東浩記者撮影)

アジア・太平洋戦争末期の1944年夏に、「本土決戦」を叫ぶ旧日本軍によって、現・長野市松代町の3つの山(象山・舞鶴山・皆神山)を中心に総延長13kmにも及ぶ大地下壕の掘削が計画され、11月11日11時に正式に着工した。日本の敗戦まで約9ヵ月間に及んだ工事では延べ300万人が働き、約6000人いた朝鮮人労働者の内、約4000人が少なくとも5回にわたって強制連行されたということが証言などから明らかになっている。長野市史の「松代大本営の建設と強制労働」と題した説明部分には、「地下壕掘削工事の主要な労働力は、日本国内にいた朝鮮人労働者と植民地だった朝鮮半島から強制連行されてきた朝鮮人」「朝鮮人労働者は劣悪な三角兵舎などの住居にくらし、高梁・大豆・麦・とうもろこしの粉などの粗食で1日2~3回交代の長時間労働に堪えた」「きびしい監視下で労働に従事した。犠牲者は諸説あるが、正確な数字はわからない」と記されている。1990年の壕公開以降、長野市によって設置された松代大本営地下壕入口前の説明看板には「300万人の住民および朝鮮人の人々が労働者として『強制的』に動員され…」との記述があった。しかし「朝鮮人の労働は強制ではなかったのではないか」との趣旨のメールや電話を受け、2013年8月に市観光振興課の判断で説明看板の「強制的に」の部分が粘着テープで隠された。その後、それを知った市民団体や在日団体が抗議の声をあげ、復元を求めたにもかかわらず、市は庁内に「検討会」を設置し、「必ずしもすべてが強制的ではなかったなど、さまざまな見解がある」との説明文を一方的に作成、2014年11月13日に新しい説明看板を設置した。3月26日に「松代大本営追悼碑を守る会」、総聯長野県本部、民団長野県本部の代表らが表現をもとに戻すよう求める20327筆の署名を提出し、新たな説明文作成のための市民を交えた「検討会」の設置を要請したが、樋口博副市長は「表現をもとに戻すこと、市民が参加する『検討会』を設置することは考えていない。(地下壕の問題は)国家的な事業であり、市がこれ以上踏み込む必要はなく、国の発表を待つというのが市の見解だ」と話した。


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