憎しみを愛に変えた外交官―李藝/4日、東京で上映会
2014年10月27日 14:30 文化・歴史63年間、母を探し続けて
航海技術もまだ未熟だった14世紀。船の難破、海賊の襲来を覚悟して、命がけで日本へ渡り、667人もの同胞の帰国を成し遂げた朝鮮の外交官がいた。名は李藝(1373年~1445年)。
日本では朝鮮通信使というと、一般に江戸時代のそれを指すことが多いが、李藝は日本の室町時代に活躍した人物である。当時の通信使は倭寇対策などを主要な任務としていた。李藝は、1400年から1443年まで44年間に40回、太宗と世宗の使節として日本に派遣された。そのうち朝鮮王朝実録に記録され、使行の内容が具体的に記されたものだけでも13回におよぶ。