〈続・朝鮮史を駆け抜けた女性たち 63〉無意識に強要された「烈女」の生き方―銀娥
2014年06月16日 16:22 文化・歴史指を切断し夫の棺に
儒学者がこぞって絶賛
「銀娥(ウナ)の意志と思考は清く明るく、品性は美しく温和、婦女子がやるべきことを学ばずともよくこなした」(娥志慮清明、性質和婉、女職事事、不學亦能。「龜峯集」)
朝鮮王朝中期の儒学者及び政治家でもあった宋翼弼(ソン・イクピル1534~1599)は近隣の村出身で、彼女を妾にしていた太守とは姻戚関係にあったためその内実について「龜峯(クィボン)集」に詳しく書き残している。庶子出身の宋翼弼も、当時の中国で巨儒と呼ばれた大学者成渾(ソン・ホン)も、自らの文集で彼女のことを誉め讃え、その噂は王にも聞こえ、旌門(チョンムン。忠臣、孝行、烈女などを表彰するためその者が住む家や村の入り口の前に建てた紅い門)を建てるに至ったほどだった。