公式アカウント

〈どうほう食文化〉冷麺物語(8)-ルーツを知ってこそ“盛岡冷麺”

2013年11月11日 10:19 文化

盛岡冷麺「ぴょんぴょん舎」

盛岡を中心に焼肉・冷麺レストランを経営し、近年東京へも出店。盛岡冷麺のみやげもの全国展開をはかるぴょんぴょん舎の邉龍雄さん(65)には、忘れられない出来事がある。

冷麺がブレイクした80年代、盛岡市で「ニッポンめんサミット」(1986年)が開催された。そのとき、会場の邉龍雄さんの屋台に「盛岡冷麺」の看板が掲げられた。しかし、当時は自分の店ももっておらず、知人に依頼され出店したものの看板のことは知らされていなかった。

食道園をはじめ盛岡冷麺が平壌冷麺と称されていた当時、祖国の料理に盛岡の名を冠した看板が使われていたことに、1世の同胞焼肉業者から痛烈な批判を受けた。

祖国の文化を安売りするな!

「お前、とんでもないことをしてくれた。日本はそうやって朝鮮の文化をみんな奪ってきたんだ!冷麺を安売りする気か!」

突然の1世の剣幕に面喰った。ことのてんまつを知った在日2世の友人は、「…文化は場によって変化するもの。盛岡の人と自然が育んだ食材によって生れ変わった冷麺は、盛岡冷麺だよ」と慰めてくれた。

しかし、スクラップ加工業から一大決心をして転業。冷麺・焼肉業を興そうとしていた矢先、先達の忠告に、中途半端な気持ちで取り組んではならないと思った。

新店舗の準備に取り掛かる一方で、朝鮮料理研究家の趙重玉先生のところに駆け込み、本国の冷麺の現状や歴史を教えてくれと頼み込んだ。

趙先生は「東北から同胞青年が、『冷麺のことを教えてほしい』『うちの麺を味見して』と駆け込んできました。驚きました」と語っている。その後邉さんは、趙先生と一緒にソウルの名だたる平壌冷麺や咸興冷麺専門店を訪れ、食べ歩き、1世が味わった麺の変遷を追った。

ソウルでもルーツは忘れかけていた。トンチミで提供するという冷麺店は少なく、クッストゥル(麺の押し出し機)の機械化により昔よりも麺が細くなっていた。平壌や咸興に直接行ったわけではなかったが、それでもルーツを垣間見れたと思った。

日本に帰ってきた邉さんは、自店ならではの味づくりに力を入れた。そして、海を渡り伝わる食文化には、それが営まれる土地の力があるという思いもこめ、盛岡冷麺を掲げ開業した。乾麺や即席麺ではなく、生麺の「みやげものづくり」にも全力をかけた。

そして、食道園初代の青木輝人さんにも出会い、冷麺への熱い思い、麺づくりのイロハを聞き込んだ。

みやげもの開発、日本各地へ

平壌冷麺(盛岡冷麺)の誕生から60年。製麺業者も県からの補助を活用して「盛岡冷麺」という名称で冷麺の普及が定着した結果、2000年、盛岡冷麺は公正取引委員会から「特産」「名産」表示の認可を受けた。

盛岡めんマップを作成した盛岡商工課の担当者は、「盛岡冷麺のみやげものは、製麺組合4社、乾麺1社が製造しています。そのほか個人業者も数か所あり、数十種類も製造。それぞれのお店と製麺業者が努力と工夫を重ねています」と盛岡冷麺の現状を語る。

そんな中、邉さんは自社の冷麺工場でこだわりの製造過程を2代目の邉公哲さんとともに説明してくれた。長男の公哲さんは、いま工場を受け持っている。

「レトルトパックのように120℃で10分間加熱すると、スープが酸化し栄養成分まで変化してしまう。ふつうに出汁を採るときの温度で殺菌し、パックにしても3か月から半年は持つんです。スープづくりに苦労しました。麺も保存料は入れず、真空麺、脱酸素剤でつくっています」と龍雄さん。天候によって左右される麺の水分率も気が抜けないという。

年間100万食以上でるというぴょんぴょん舎のみやげものは、「店で食べるときと変わらないくらいおいしい」「麺・スープの完成度が高い」と愛用者から定評を得ている。

公哲さんは、「青木さんのような1世たちが1代目、そのご子息の雅彦さんが2代目、私や三千里の徐明秀さんが3代目のような気がします。今までやってきた方から学ぶことも多いのですが、いままでにない新たな感覚で、私たちができることも多いのでは」とこれからを語る。

邉さん親子はしばしば冷麺のこと、会社のこと、これからのことを意見交換する。邉さん夫妻が多忙すぎたころ、思春期の公哲さんが反抗し、取っ組み合いのケンカもしたという親子だが、今はともに夢を語り合う中でもある。

1世の言葉と生き様に感謝

邉龍雄さんは、レストランとは「レスタ・ラ・ウーレ」というラテン語の語源のように「人間性回復の場」でなくてはならない、と店づくりにこだわりを持っている。おいしいものを食べる食空間が人々の癒しの場になり、企業がその地に根差すことが要であると思っている。

この夏は酷暑で、各店舗やみやげものの売れ行きが好調だった。盛岡のおいしい水で生マッコリをを販売し、次なる商品も構想中である。「古いものに新しいものを感じます。古いものを古いところに置くと埋もれてしまう。しかし、新しいところに置くとぱあーっと輝くんです。店づくりでもそんなデザインが好きです」

「歴史を知ることはそこに新しい発見がある。わたしたちは先祖を大切にして、ルーツを大事にする経営者であるべきではないか、と。ルーツを知ってこそ盛岡冷麺を語れるんです」

済州道から日本にきてあらゆる辛酸をなめた父、「国を捨てるな」と言ってくれた盛岡冷麺の祖・青木さん、「冷麺文化を安売りするな」と叱ってくれた同胞業者、そんな1世への感謝の気持ちでいっぱいだという。

(金才順・フードライター)

「どうほう食文化」記事一覧

Facebook にシェア
LINEで送る