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〈どうほう食文化〉冷麺物語(7)-初代、そして3世が追う夢

2013年11月06日 15:14 文化

盛岡冷麺「三千里」

徐明秀さんと金香淑さん夫婦

食道園に追いつけ、追い越せと奮闘した焼肉店三千里は現在、3世の徐明秀さん(40・青商会北東北会長)が、妻の金香淑さんと二人三脚で切り盛りする。

朝鮮大学校経営学部を卒業して総聯岩手県本部で働いていた徐明秀さんは、父が急逝し母を支えるため1998年から家業・三千里雫石店に入った。その4年後、祖叔父や祖叔母の意思を継いで、盛岡大通店も任せられることに。2店舗を担う決意をこめて店名の由来(写真参照)を考え、壁掛けにし、朝鮮半島から渡ってきた食文化をみちのくで積極的に発信しようと思った。

極上の冷麺づくりを

三千里の初代・金永徹さん(故人・1世)は生前、テレビ局の取材でこう語っている。

…戦前、岩手に住む同胞は、松尾鉱山や釜石製鉄所などで過酷な労働を強いられていた。戦後もさまざまな差別が横行する中で、働き口のない在日朝鮮人は全体の7割に。青木さん(食道園の初代)の平壌冷麺は、そんな同胞が生きるための希望だった。わたし自身の麺好きも高じて、おいしい冷麺づくりに挑もうと思った…

初代がこだわったのはおいしいスープの採り方だった。故郷の慶尚北道で貧農の末っ子に生まれ、幼いころの記憶は“空腹”の二文字。戦中・戦後の食糧難を経験し、おいしいものに目がなかった金さんは、和食、中華、洋食を食べ歩いて舌を肥やし、焼肉・冷麺は評判の店に行って味わい、三千里ならではの味付けにこだわった。そして、厨房を受け持つ妻・李花分さんと冷麺づくりに励んだ。「肉・野菜をたっぷり使ってスープを煮出そう」「肉は産地にこだわって」など、探求がつづいた。

李さんは愛国活動の専従となった夫を支え、妹・秀分さんとともに懸命に働いた。「冷麺のスープがおいしい」「肉がうまい」といつしか店先に長蛇の列ができた。

初代・金永徹さんと3代目の徐さん

三千里・雫石店の開店に伴い、金さんの姪・金信子さん(2世)が大通店で修業し、この味を受け継いだ。

雫石店ではカルビスープラーメンが人気メニューだ。ロードサイドのドライブインで、長距離トラックのドライバーが訪れる雫石店。長距離ドライバーたちは重労働のせいか、気性の荒い男たちが多かった。信子さんはそんなドライバーのために一品で満足感のあるメニューを開発した。細切れカルビと野菜を使った少し辛めのユッケジャン風こってりラーメンは、体力勝負のドライバーの食欲を満たし、日に200~300杯もでる商品となった。冷麺とともに2大麺となっている。

BSEも乗り越えた麺の力

焼肉店を継いで17年目の徐さんにとって、一番厳しかったのは2001年のBSE(牛海綿状脳症)のときだった。全国2万数千店の焼肉店は、売上減少はもとより約10%が倒産を余儀なくされた。

焼肉業界の最大の危機といわれたあの時、盛岡でも状況は厳しかった。

「牛肉が敬遠され、誰もが危機感を感じていました。業態を変えようかと考えたことも。でも乗り越えられた。冷麺人気は衰えていなかったんです。あのとき盛岡では倒産した焼肉店はなかったと思います」と徐さん。根強い冷麺人気が店を支えたことに先代の功績を感じた。

三千里の2代目・信子さん(前列中央)と従業員

徐明秀さんは、初代からの製法にこだわり冷麺づくりに励んでいる。スープは牛肉や牛骨はもちろん、丸鶏も用い、香味野菜をふんだんに使って栄養たっぷりに仕上げる。麺は澱粉と小麦粉の割合が7対3。盛岡では6対4の割合でつくる業者が多い中、同店の麺はコシが強いのが特徴だ。自慢のキムチは妻の金香淑さんが受け持つ。がっつり麺のしっかりスープである。

じつは徐さんが厨房に入ってまもなく、麺づくりは試行錯誤の連続だった。夏場になると、麺がボソボソしたり、押し出し機から下ろすときにプチプチ切れてしまう。原因は湿度や温度の調整だった。麺は生き物、季節ごとに変化する。気が抜けなかった。

そんな麺づくりも今では安定している。「最近、麺が細くなったり、薄味になっている傾向がある。うちは昔ながらの味をガンコに守っている」という。

今年、結婚15周年になる徐さんと金さん夫婦は朝鮮大学校時代の同窓生で、おしどり夫婦。人もうらやむほど仲がいい。休日は二人で評判のおいしい店を食べ歩き、意見交換し、メニュー開発のヒントにする。

地域とともに、同胞とともに

例年になく暑い日がつづいた今年9月10日、盛岡市民文化ホールでは、震災後2年ぶりに金剛山歌劇団の岩手公演が行われた。今年の歌劇団公演で徐さんは、実行委員長の大役を任された。情勢が厳しいなかでも日本の友人が積極的に後押ししてくれた。

「ミュージカル『春香伝』を、地元の方々に喜んでいただいて本当に嬉しかった。公演開催を3世の私たちが引き継ぐことができた。広告をもらいに出向く過程で、100~150件も協力をいただいていた1世のバイタリティを身をもって知りました」

食を通して地元に貢献し、町内会や同胞との連携も深める。徐さんは「1世の先駆者たちが困難を克服してつくりあげた町の食文化・冷麺は、私たちがここにいるという存在意味と重なる」「地元に貢献し、同胞コミュニティもしっかり守ってゆきたい」ときっぱり語る。

(金才順・フードライター)

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