随筆・春の訪れ/陳美子
2013年03月22日 17:26 文化凍てつくような厳しい冬も背を向け始めたのか、底冷えの京都に春一番が吹き抜けた。
どうやら春も近い。「爆弾低気圧」などと耳慣れない言葉に戸惑う人々を嘲笑うかのように、雪は吹雪となり、冬の存在を改めて思い知らされた今年の冬――。しかし、日本に住む「ウリ」(在日同胞)にとって「酷寒」は今に限ったことではない。
「冬」を必死で耐えねばならず、雑草の如く根を張りながら、逞しく、力強く生き抜いてきた。
太陽を仰ぎ、春を信じながら脈々と受け継がれてきた民族の魂、一つの心。
そんな心が花開いた舞台、1月19日の文芸同京都支部定期公演、「一つの心」(ハナエマウム)が思い出される。
ウリノレ、チュム、キアクがハーモニーのようにワルツを成し、一層華やいで見えた。
20年以上続く舞踊部、10年を越す声楽部、久しい休息を経て再結成された吹奏楽部、昨年から文芸同に籍を置いた民族器楽部など…。
全国津々浦々芸術活動は数多くても、一つの組織の様相を呈した舞台は容易ではない。
そんな中での京都公演は、とても意義深いものがある。何事も始めることより、続けて行く方がより難しい。幾度となく立ちはだかる「退部」の思い…さまざまな現実に直面しながらも今日に至った日々の努力――。
人はよくこんな言葉を口にする。「努力する人は普通に過ごす人に勝り、好んでする人は、努力する人に勝る」、「好きこそ物の上手なれ」。
朝鮮語で歌い、朝鮮の音楽を奏で、そのリズム(チャンダン)に合わせ舞うことが好きで、それらを大切にしたいと願う真心が継続の力となったのは言うまでもない。
今日、ウリハッキョの学生たちにもその心は引き継がれ、芸術サークル活動にいそしんでいる。
この度の京都公演でもう一つ大事な意義があった。
京都で新しいウリハッキョが建設される! 荒れ放題で、手つかずのままになっていた醍醐の地に、京都の明日を、民族教育の未来を見出して立ち上がった人たちがいた。
ウリハッキョのために! この思いで皆が一つになることを考えたチャリティー公演でもあったのだ。
新校舎建設は、まさに道なき所に道を敷き、蕀の中を手で掻き分けるような苦難の道程であった。
山を越えてもまた次の山が待っている。心がくじけ、折れそうになったことも一度や二度ではない。
そんな時、新校舎で学ぶ子どもたちの笑顔がよぎる。 (歩みを止めることは出来ない!)
(今こそ歯を食いしばって進む時だ!)
(ウリの精神、民族の魂を守り抜こう!)
学校建設に拍車をかけ、5月の竣工を目前にしている。
私は感謝に浸る。
文芸同の活動や公演、学校建設―どんな時にも先頭で旗を振り、みんなを呼び起こす人がいた。また、人知れず陰になって支える人もいた。一つの思いや心が皆とつながって行き、大きく発展していくのだと新たな感動を覚える。
真心があれば天にも通じるという(至誠感天=チソンイミョンカムチョン)。
過去から今日、明日の未来へとこれからも受け継がれる「ウリ」の心なのだ。
春の訪れを告げて、梅の花が色どりを添え始めた。気品・忠実の花言葉は春の喜びを感じさせる。
4月から新校舎で学ぶ子どもたちに、満天の星を意味するカスミ草を贈ろう。そして竣工式には幸せを招くという、福寿草を両手一杯に抱えて行ってみよう!
(京都文芸同文学部長)