〈朝鮮民族の美 44〉金弘道「布衣風流図」(絵画)
2013年01月26日 11:01 文化・歴史金弘道は、少年の頃から当代一流の画家であり知識人であった姜世晃(1713~1791)の指導を受け、その縁で優れた知識人と交流し、ソンビ(士人)的教養と自尊心を養った。師の姜世晃は「金弘道は人品が清く優れ、心ばえが清らかで、世俗を超越しており、非凡な人であった」と評価している。
早くから図画院の画員として、優れた絵を制作し、その実力を認められて英祖とその東宮(王世子)の肖像画の制作、さらに正祖の肖像画の制作に参与し、その功によって中人は正七品以上に任用できないという規定を破り、従六品の監牧官や延豊県監に任命されるという恩寵を受けた。
18世紀に入り、都市庶民の政治的、経済的進出が進む中でも、内部では階級的差別は依然として残っており、中人出身の優れた者に対する差別は身にしみて感じられるのであった。
その後の「恩寵と悲憤」の感情の葛藤を示すのが、晩年近くに描かれたこの自画像である。主人公は、冠を被り、裸足で半ばくつろいだ服装である。彼の好む琵琶を抱え、その前には笙と抜身の剣(正邪を明らかにするという覚悟を表す)、横に酒を入れるひさご、そして書籍の山と書画の為の紙束、硯と筆、中国の壺、香炉などの骨董。すべて高尚なソンビ(野にある知識人)の覚悟を示す品々で、中人出身者の自我の覚醒を示す珍しい「自画像」なのである。
(金哲央)