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「ハムケ・共に」3周年企画-劇団アランサムセ「歌姫クロニクル―Re‐membering―」東京公演

2013年01月22日 11:57 文化・歴史

 朝鮮学校、民族の尊厳守りたたかう若者たち

〝人として当たり前に生きていける社会を〟

「ハムケ・共に」3周年企画-劇団アランサムセ「歌姫クロニクル―Re‐membering―」(主催=立川にある朝鮮学校を支える「ハムケ・共に」)が、東京・三鷹の武蔵野芸術劇場で上演された。会場には多くの同法、日本市民が訪れ、昼夜2回公演共に、満席となった。「歌姫クロニクル」(作者は李英哲・朝鮮大学校外国語学部准教授)は、月刊イオ(2008年9月~12月)に掲載されたフォトノベル。

「たえず集おう」

舞台は、小説のクライマックスとなった、在日朝鮮人の若手バンド「ナビ&パルチザン」が、廃校となった朝鮮学校を撤去しようとする地元警察と暴力団に立ち向かうため、学校を占拠して行った伝説の「7days篭城ライブ」で幕をあげる。そしてストーリーはその10年後へとワープする。

劇では「ナビ&パルチザン」の元ドラマーだったカウィの妹・ソフィと、日本学校に通うミレが、伝説のバンドの幻影を追いながら、ガールズバンドの結成を夢見る話で展開される。

歌うことで人々に希望を鼓舞し、人々の声を集めた「ナビ&パルチザン」の、「歌うこと/たたかうこと」を封じ込められてしまった彼らの姿は、もはやそこにはない。

10年前、朝鮮学校、民族の尊厳を守ろうとしたナビたちを解散へと追いやった警官の一人、斉藤実は部長へと出世していた。「わずらわしい」朝鮮人を一掃し同化へと追い込むことにやっきになる斉藤。人々の心を奮い立たせ、たたかう勇気を与えるナビを誰よりも恐れている人物である。

朝鮮学校に通いながらも朝鮮人として堂々と生きることの難しさを強いられるソフィと、「完全な」朝鮮人になりきれないミレの心の葛藤は、日本の植民地主義に翻弄される在日朝鮮人が抱える現実そのものだ。「この町にナビはいない。最初からいなかったんだよ」。日本の排他主義、民族差別の歪みが斉藤のセリフとなって舞台を交差する。

それでもソフィたちは突きつけられた現実に抗いながら、再び立ち上がろうとする。

 「あの子(ナビ)はね、歌で革命したんだよ…お前たちは歌でたたかう気はあるのかい?」

かつて朝鮮学校で教師をしていたマルさんの問いかけに、ソフィたちは自問自答する。遊び心でバンドを組みたいだけなのか。はたして何のために、どう歌うのか?そしてその答えを、カウィもまた探ろうとする。

作者の李英哲さんはプログラムで次のように述べている。

「〝Re‐membering〟――想起とはすなわち、過去を、記憶を、忘れ去られた声を、奪われた声を、人々を、未来に向けて再び集めることだ。それを繰り返していくほかないだろう。繰り返し思い出そう。そしてたえず集おう。小さくとも声を出し合うところから、〝歌(ノレ)〟はまた生まれ、もまれ、やがて少しずつ響きはじめるのだ」

舞台は、皆が再びソリ(声)を集め、希望に向かって進もうと立ち上がるシーンで幕を閉じた。

小さな声集め

昨年5月頃、「ハムケ・共に」のメンバーたちは、「ハムケ3周年プロジェクト」を立ち上げた。さまざまな企画を考案する中、「たくさんのソリ(声)」を集めようという同作品のテーマと、「ハムケ」の活動理念に共通するものを感じ、上演の企画を決定したという。 「自分たちの思いを伝えるとき、言葉で説明してもなかなか伝わらないときがある」と話すのは、「ハムケ」のメンバーの猪俣京子さん。劇中、ソフィが「だから朝鮮人なんて嫌なんだ」と泣き叫ぶシーンについて触れながら、「在日朝鮮人だけでなく、人権が脅かされ、人として当たり前に生きていくことの難しさを感じている人たちがいる。その小さな声をたくさん集め、大きく発信していきたい」と話した。

同じく同メンバーの田中由紀子さんは、戦後67年が経った今でも、日本政府は朝鮮学校に対する援助を一切していないどころか、差別を助長し、学校そのものの存在を危うくしていると憤りを見せた。そして、「これからも、朝鮮学校の子どもたちの学ぶ権利を守るために、より多くの人が在日朝鮮人に思いを寄せる企画を考えていきたい」と話した。

(文・尹梨奈、写真・全賢哲氏提供)

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