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〈2013年新春インタビュー〉東北に勇気与える原動力に/ベガルタ仙台・梁勇基選手

2013年01月01日 09:00 スポーツ

”ぶれずに前を向く”

梁勇基選手

12月。ベガルタ仙台のクラブハウスに一台の車が現われた。運転席から出てきたのはサッカー朝鮮代表の梁勇基選手(30)だ。香港で開かれていたEAFF東アジアカップ2013の予選第2ラウンドから帰ってきたばかりで、近くにいた朝青活動家に自ら歩み寄り、そのときに着たという朝鮮代表のユニフォームを手渡した。

「年末の忘年会で朝青員たちのためにぜひ使って」。活動家が困惑気味に、「このような貴重なユニフォームを頂いてもよろしいですか?」とつぶやくと、梁選手は「ええよ!」と笑顔で答えた。焼肉店を営む朝青員が「サインをお願いします」とカレンダーを差し出すと、快く応じた。

ベガルタ仙台のホーム戦で欠かさず横断幕を掲げてきた朝青員たちへの恩を梁選手は忘れていない。年に数回、梁選手と食事をする朝青活動家は、梁選手の人柄について、「『あのときの朝青活動の話、その後どうなった?』などと、細かい気配りを見せる。多くのファンがその人間性に魅了されているんだと思う」と話す。人との出会い、絆を大切にする梁選手の人間性が垣間見えた。

背番号「10」をつけ活躍しているベガルタ仙台の梁勇基選手(提供=©VEGALTA SENDAI)

必死に、一生懸命に

東日本大震災が起きた2011年3月11日、梁選手は練習を終え、ひとり仙台市内で車を運転していた。ガタガタッという大きな揺れを感じると同時に、動けなくなり、これまで経験したことのない恐怖感に襲われた。すぐに3カ月後に出産を控えた妻の顔が頭をよぎった。幸い、家族は無事だったものの、自宅の壁にはヒビが入り、食器の大半は割れてしまった。家族はしばらく避難を余儀なくされた。頭の中は、サッカーどころではなかった。

震災後、チャリティーマッチ(3月29日)への出場要請が届いた。震災復興を支援する試合だと聞き、自身の出場によって被災した多くの人々にすこしでも元気を与えられるならと、出場を決意。ピッチでは、力いっぱいプレーした。

梁選手はその後も、「仙台、東北の復興のためにサッカーに取り組もう」という気持ちで、ベガルタ仙台のリーグ戦での躍進を副主将として支えた。チームの支援活動で訪れた沿岸地域の学校や仮設住宅で被災した市民たちから「がんばってほしい」と激励され、奮い立ったことも一度や二度ではないと振り返る。

「自分たちより苦しい立場の人たちが、期待を込めて、そう言ってくれる。Jリーグの試合で勝つことが仙台、東北の力になると実感した。結果が必要とされているところに、とてつもないやりがいを感じた」

こうした選手たちの思いが結集し、チームは快進撃を続けた。2011年シーズンでは、チーム史上最高位となるリーグ4位を達成。これで自信をつけたチームはそのまま勢いに乗って2012年シーズンで優勝争いを演じた。結果はリーグ2位となり、震災復興に励む東北地方の大きな原動力となった。

救援物資に鼓舞され

同世代である朝青員との交流も大切にしている。

大阪の同胞社会で育った梁選手が、東北の人々の心の傷を癒す存在になっている。J2からJ1にチームを昇格させた立役者のひとりとして、仲間たちと苦楽を共にしてきた。しかし、震災を経験して、選手として大切なものを掴んだ。それは誰かのためにたたかう力のすごさや、プロとしてのメンタルの持ちようだった。それは技術の次元を超えた、とても大切なことだった。そのような強い気持ちが、チームの飛躍を後押しした。そしてチームを引っ張る梁選手の姿が、東北の同胞たちに元気を与えたのだ。

「勇基、大丈夫か?」――震災後、大阪朝鮮高級学校サッカー部時代の恩師をはじめ、友人、知人たちからひっきりなしに連絡がきていた。うれしかった。仙台市の東北朝鮮初中級学校を訪れ食堂に入ったとき、最初に目に飛び込んだもの。それは、日本各地の総聯組織や同胞から届いた山積みの救援物資だった。

「その量がとにかくすごかったし、各地の朝鮮学校などから送られてきたおびただしい数の応援メッセージが印象深い。とくに、同胞数が減少していく中でも、苦しいときに助け合う同胞のパワフルな気持ちを目の当たりにして、うれしかったし、元気をもらった。在日朝鮮人でよかったと、率直な感情が込み上げてきた。地元のサッカー選手として、『やるしかない』という気持ちがフツフツと沸いてきた」

今年で、プロ生活10年目を迎える。梁選手はJリーグでの活躍を改めて誓う。活躍すればするほど同胞たちが喜んでくれる。そこに、在日同胞プロサッカー選手としての喜びがあると考えている。また、朝鮮学校出身者としての可能性を、同胞の子どもたちが力強く受け止めてくれるとも。

静かだが、力強い視線で語る梁選手。今は朝鮮人が頑張るほど、日本や国際社会でも認めてもらえる時代だと実感している。そのメンタルを形成したものはなにか、聞いてみた。

「在日朝鮮人として、プロサッカー選手として、一本筋の通ったぶれない心を持ち続けることを大切にしてきた。朝鮮人としての自覚や道徳、ぶれない心を学んだのはウリハッキョ。震災後に生まれた子どもをぜひウリハッキョに入れたいと思う。そして朝鮮代表選手としても、もう一花咲かせたい」

今月7日で31回目の誕生日を迎える。36歳で迎えることになる2018年W杯は、やはり気になるという。そこに向けても、新たな一歩を踏み出したいと考えている梁選手。大震災により傷ついた多くの人々が、東北に勇気を与える在日サッカー選手「梁勇基」の、常に前を向いてたゆまぬ努力を続ける姿勢に魅了されている。

(李東浩)

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