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イチョウの木に誓う日朝の国交正常化 / 篠原日出子さんのあいさつ

2012年10月09日 16:32 文化・歴史

在日朝鮮人にとっては、イチョウの木は祖国に思いをはせ忍ぶシンボル的存在だ。神奈川では、色々なチャンネルによって報じられもう在日朝鮮人のみなさんには知れ渡っている。

1972年7月4日に南北共同声明が発せられた歴史的な年に、朝鮮から招かれて田中寿美子参院議員を団長に全国から当時の社会党女性活動家9人が初めて訪朝を果たした。東京から飛べば2時間足らずで行けるところを国交がないために香港・広州・北京と5日間もかけ、『近くて遠い国』を身をもって体験されたそうだ。

訪朝の日程が終えた朝、宿舎であるモランボンの迎賓館の中庭で、訪朝メンバーの一人、加藤栄さんが黄金色に輝くイチョウの落ち葉を、出来るだけ形のよいものをお土産にしようとかさこそと探していたら、銀杏が転がり出て来て12、3粒バックに潜めて持ち帰った。娘さんに危うく茶碗蒸しにされるところ盆栽の名人、夫の省吾さんが三鉢に分けて蒔かれ丹精込めて育てられ、見事発芽して実生から50センチに伸びたとき、これは私物にするものでないと1975年に横浜市に寄贈、保土ヶ谷にある緑化センターで育てられた。当時の飛鳥田市長の計らいで79年10月21日に根岸の森林公園に定植されることになった。

この日は国際反戦デー。朝鮮半島の統一と日朝国交正常化を願う日朝の友人らが約100人は集まった。在日の方たちは、チマ、チョゴリに身を包まれ、集いにふさわしくとても華やかだった。以来、日朝の女性は毎年のようにイチョウの木のそばに集い健やかに育てと追い肥えをして、国交正常化と南北統一を願って友好の絆を深めてきた。

でも、イチョウの木は順調に育った訳ではない。1983年のラングーン爆破事件の時だ。『ピョンヤンの木』と表示していたために、心なき人の手で一本伐られた。朝鮮人の不屈の魂の様に切り口からひこばえとなり、今では二本と肩を並べている。

朝高生に対しての高校無償化不適用はとても酷いものだ。朝高生に対しての高校授業料無償化適用、そして日朝国交正常化促進をイチョウの木に改めて誓いたいと思う。

(9月30日、横浜で行われた「日朝友好いちょうの木のつどい」で行ったあいさつ)

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