新たな地方工業革命の烽火
2012年08月31日 15:33 共和国脚光浴びる昌城郡 地方工業発展のいま
活性化する地方経済
今年は朝鮮の地方工業発展のための大きな転機をもたらした昌城連席会議(1962年8月)開催から50年にあたる。朝鮮では今、かつて地方工業発展におけるモデル地域となった平安北道昌城郡が再び脚光を浴びている。
朝鮮中央通信によると、昌城郡では今年8月までの1年余りの期間に、郡内の食品工場のすべての生産工程がオートメ化され、新たに建設された食品加工工場では肉類と野菜の加工品と飴・菓子などの加工食品、清涼飲料などが量産されるようになった。また織物工場に新しい機械設備が導入されたほか、生産性の高い被服工場も新たに建設され、郡の住民たちの衣服問題を郡内で解決できるようになった。製紙工場、家具工場、日用品工場をはじめ郡内のすべての工場でも技術改造が積極的に推し進められた。
昌城郡のほかにも、咸鏡南北道や両江道と慈江道をはじめとする全般的地方と地域において工場の現代化が推進され経済分野での成果が上がっており、地方経済を今後さらに発展させ、人民生活の向上をもたらそうというキャンペーンが活発に行われている。
昌城が再び地方工業発展の呼び水となった背景には、金正日総書記が2010年11月に昌城郡内の数ヵ所の工場を現地指導したことが大きく関係している。金正日総書記は昌城連席会議の精神を受け継いで、昌城郡から「新たな地方工業革命ののろし」を掲げようと呼びかけ、国の地方工業をさらに発展させることを強調した。
社会主義経済建設の鍵
朝鮮で地方工業の土台が築かれたのは1950年代後半からだ。1958年6月に行われた朝鮮労働党中央委員会全員会議で、中央工業と共に地方工業も発展させるという政策が打ち出され、地方の各市・郡に工業工場が続々と建設されていった。朝鮮戦争(1950-53)を経て戦後復旧建設が盛んに行われていた時期だ。
朝鮮で地方工業とは、その地方の需要を満たす分の一般消費財を地方の原材料を用いて生産する工業を意味する。地方工業は、地方経済指導機関によって管理される。
地方工業の発展は、社会主義経済建設において重要な意義を持っている。
地方工業を発展させることで、まずは自然資源、中央工業からの副産物や産業廃棄物、農業生産物と副業生産物(個人の副業から生まれる生産物)などをはじめとする地方の原材料と、労働力、機械設備などを有効に利用しながら生産性を高めることができる。
また生産地と原料原産地の距離を縮めることで生産と供給活動をスムーズにし、輸送などにかかるコストも少なくて済む。
このようなメリットを持つ地方工業を発展させる上で当時モデル地域として定められたのが、きびしい地理的条件のため長年経済難にあえいでいた昌城郡だった。平安北道北部に位置する同郡は郡内総面積の95%が山地で、海抜200~800mの地域が75%に及ぶ険しい山間地帯であった。耕作できる土地が5%に満たないため、慢性的な食料不足に陥っていた。
しかし金日成主席の指導の下、昌城郡では郡の実状に即した地方工業の土台が築かれていった。豊富な山の資源を利用して加工食品や日用品、医薬品などの製品生産に着手し、畜産農業などにも力を注いでいった。
結果、地方工業が発足してから3、4年の間に、郡内で生産された食料と日用品で郡内の需要を基本的に解決できるようになるほど経済状況が改善され、62年に開催された昌城連席会議でその経験が全国に広められた。不利な条件下にあった昌城があえてモデル地域になったことで、他の地方に刺激が与えられ、より一層地方工業発展のための取り組みが盛り上がっていった。
金正恩第1委員長が著作
昌城連席会議50周年を迎えた今年8月、地方工業発展への国家的関心が集まった。
崔永林内閣総理をはじめとする党・国家の責任幹部と党・省・中央機関、地方の党・政権・経済機関の幹部は8月8日、昌城郡を訪れ、郡内のさまざまな経済機関を参観した。
また同日昌城郡で行われた昌城連席会議50周年記念中央報告会では、金正恩第1委員長が昌城連席会議50周年に際して発表した著作「歴史的な昌城連席会議の精神を具現してすべての郡を住みよい人民の楽園に建設しよう」が参加者たちに伝達され、昌城を筆頭に地方経済発展の拠点である郡の役割を強化することがいま一度強調された。
朝鮮の各新聞(8月8日付)は社説で、昌城連席会議の精神を具現し、人民生活を向上させようと呼びかけた。労働新聞は社説で、郡の役割を強化して地方の経済と教育、文化を全面的に発展させるべきだという昌城連席会議の思想と精神は21世紀の経済強国、社会主義文明国を建設するための旗印になると強調した。
(文-金里映)