〈生涯現役〉申在均さん/傘寿で自伝「有機化学とともに」を刊行
2011年07月29日 14:17 暮らし・活動「教師冥利に尽きる」
有機化学を専攻した朝鮮大学校元教授の申在均さん(80)が、このほど「有機化学とともに―愚直な在日朝鮮人化学者の回想」と題する自伝を刊行した。
申さんは1931年、東京・足立区で生まれた在日2世。アボジは日本の植民地時代に農地を奪われ、慶尚北道漆谷郡北三邑漁蘆里から1910年代に渡日した。各地を転々としながら過酷な労働に従事した。「アボジが日本で受けた最も大きな衝撃は、1923年9月の関東大震災と朝鮮人虐殺だった。命からがら東京を脱出したアボジは福島県の奥深い鉱山に身を潜め、恐ろしくてまったく外出もしなかった」。1年後にやっと帰京したアボジは、東京・足立区内の牧場に身を寄せ、雑役夫として働き、その後帰郷し、結婚。2人で東京に戻り、懸命に働き、小さいながら家も建て、やがて3男5女に恵まれる。申さんはその長男。足立区内の小学校に学び、中学は府立航空工業学校に進んだ。しかし、東京では米軍による空襲が激化、日本敗戦を前にして、3月10日の大空襲で南千住の学校は灰燼に帰し、自宅は焼け残ったが、それも4月13日の最後の東京空襲で焼け落ちた。