〈歴史×状況×言葉 13〉湯浅克衛(上)/美化される朝鮮の記憶
2011年02月28日 00:00 歴史前回まで中島敦のことを書いたが、中島と京城中学校で同級だった湯浅克衛(1910~1982)がいる。もはや今日ではほとんど知られていないが、生涯朝鮮を書き続けた数少ない日本の作家である。中島と同じく植民地朝鮮で思春期を過ごし、ともにその朝鮮体験を描いている両者の作品には、題材の共通性と、だが非常に対照的な朝鮮への態度が表れる。
湯浅のデビュー作「カンナニ」(1935)は、植民者の子龍二と朝鮮人少女カンナニ(李橄欖)との純恋が、3.1独立運動のさなか悲劇的に引き裂かれるという内容である。もっとも初出時には3.1運動を描いた後半部が当時の検閲を配慮して削除され、戦後1946年に作者が記憶に基づいて後半を書き直し復元された。戦前、侵略戦争のための大陸開拓のイデオローグとして国策に加担した責任を自己韜晦し、センチメンタルでアリバイめいた贖罪意識や朝鮮への「善意」の提示として、この復元版「カンナニ」をめぐり多くの批判がなされた。