〈続・朝鮮史を駆け抜けた女性たち 11〉1万坪の大地主/尚宮朴氏
2009年12月04日 00:00 文化・歴史不自由な一生で得た「自立」
コツコツと貯蓄
朝鮮王朝時代、宮女は、宮中で勤務する女性という意味の宮中女官や宮中の内の人という意味の宮人とも呼ばれ、通常の呼称は内人といった。すなわち、内人、宮女、女官、宮人は通称であり、実は具体的な名称がそれぞれあった。至密内人、針房内人、生果房内人など、その職務によって名称はさまざまだった。彼女らは皆、早いと4歳、遅いと17歳くらいで入内し、至密だと宮中に入って25年後、その他の房は35年後に宮女の序列では最高位の正5品の尚宮になった(「女官制度沿革」蔵書閣)。尚宮にもその職分による名称があり、保姆尚宮、侍女尚宮など多くの部署があった。各職場には宮女全体を統率する提調尚宮と副提調尚宮がいた。最高尚宮は間違い。尚宮朴氏は、尚宮になるまでの最短25年、最長35年間、実にコツコツと貯蓄に生きその経済力である程度の「自由な生活」を送れたはずだ。なぜか。彼女は土地を1万坪と奴婢一人を所有する大地主だったのだ。
21世紀の今、女性の中に、土地を1万坪以上所有する者が一体何人いるだろうか。尚宮朴氏は、17世紀の人である。