〈続・朝鮮史を駆け抜けた女性たち 7〉天主教の母/姜完淑
2009年08月07日 00:00 文化・歴史新しい世界観に命捧げて
天主教の母
現代南朝鮮のカトリック信者たちは、尊敬の念を込めて姜完淑を天主教(カトリック)の母と呼ぶ。朝鮮の天主教史上初の女性会長姜完淑(洗礼名コロンバ)は、当時禁止され、弾圧を受けた天主教の布教と、自身の信念にその命を捧げた女性である。天主教に対し比較的寛大だった朝鮮王朝第22代王正祖(リ・サン)が逝去し、その幼い息子が王位を継承するや、先の21代王英祖の后であった貞純王后が摂政となり、政敵である派閥、南人が多く入信している天主教を邪教として激しく弾圧した。姜完淑は、貞純王后とその背景である老論僻派が起こしたカトリック史上稀に見る大虐殺事件である「辛酉迫害」の犠牲者でもある。300人以上の人々が処刑され、あるいは島流しになった凄惨な事件である。背教者の密告により逮捕された姜完淑は3カ月間取り調べを受け、6度に渡る拷問にも耐え抜いたばかりでなく、刑吏や看守たちにキリスト教の教理や孔子の教えを説き、彼らをして「この女人は人ではなく神だ」と言わしめたほどであった。逮捕された後も「天主教を学び自ら進んで入信したのだから、処刑されるとしても悔いはない」と言い残した。
処刑は5月23日、41歳であった。朝鮮王朝実録「純祖実録」1年10月条には 、「姜完淑は女流の頭目であり、周文謨という者を自宅に匿い、姓名と居住地を汚らわしく変更し欺き、邪まな行いが数多くあったがために数度に渡り拷問を加えたが、死を賭して隠し続けた」とある。