〈朝鮮と日本の詩人 65〉仁科理
2008年09月01日 00:00 文化・歴史もっと自由で、もっと激しい怒り
(冒頭から29行略)
たとえば一九二三年九月一日の悲しみが
埼玉県児玉郡上里村という寒村で、一九五二年のある日、
「関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊祭」という一つの塔になったからといって、
人間の良心がかえってきたわけではないんだよ。
碑の裏には、
「大正十二年関東大震災に際し朝鮮人が
動乱を起したとの流言により東京方面から
送られて来た数十名の人々がこの地において悲惨な最後を遂げた」
と彫られた言葉は石よりも冷たく、
〈死〉は屈辱の重さで眠っているさ。
(13行略)
ああ ぼくはおまえのためにうたってあげよう。
不逞鮮人の〈死〉よ! 社会主義者の〈死〉よ! 撲殺・銃殺・扼殺・絞殺・薬殺・虐殺!
流言飛語の〈死〉よ! 死のない〈死〉よ! 〈言葉〉が〈ことば〉にならない〈死〉よ!
〈死〉はもっと自由で、もっと激しい怒りなんだということを。
〈死〉は悲しむものではないというと、
おまえはチロや青タンのために、あたたかい泪をおとすのだね。