〈遺骨は叫ぶ 17〉沖縄・全島要塞化に朝鮮人軍夫を動員
2008年08月25日 00:00 歴史宮古島の米空襲で千人以上が犠牲に
1944年以前の沖縄は、「国内でもめずらしいぐらい戦争とは無縁の島々でした。戦備らしいものは何一つなく、郷土部隊をもたない唯一の県」(「読谷村史・5」)だった。しかし、ミッドウェー海戦の大敗後、日本軍の戦力は低下し、南洋群島は相次いで連合国軍の手に落ち、日本本土攻略へ向けて侵攻をはじめた。沖縄に攻めてくることが確実になったので日本軍部は、沖縄に南西諸島守備軍(第32軍)を創設したが、実戦部隊が来たのはサイパン島が落ちる直前の6月だった。しかし、「第32軍の任務は、沖縄を本土として守り抜くことではなく、出血消耗によってアメリカ軍を沖縄に釘付けにし、防波堤となることでした。これによって本土決戦を準備し、沖縄は時間稼ぎの持久戦の場」(「沖縄戦のはなし」)とし、天皇制を守り抜こうとしたのだ。
守備軍は、沖縄で米軍と戦うため、飛行場建設や、陣地構築の作業を強行した。だが、地上戦が始まる前から沖縄の海や空は連合国軍に押さえられ、武器弾薬や食糧の補給はできない状態になっていた。守備軍の兵力では不足なので、徴用の名で働くことができる男女を動員したほか、食糧や資材などを供出させた。それでも労働力が不足して沖縄の要塞化が進まないので守備軍は、朝鮮から「軍夫」として沖縄に強制連行をしてきた。荷積作業に従事した人は「水勤隊」(特設水上勤務中隊)と呼ばれたが、実数はいまだに不明で、「1~2万人の軍夫、千人以上の慰安婦」と言われている。国や県は調査をしていないため、統計にもない。