公式アカウント

〈人物で見る朝鮮科学史 63〉中世末期の科学文化(2)

2008年07月25日 00:00 歴史

門外不出の銀の精錬技術

現在の端川の地下資源

現在の端川の地下資源

07年6月、島根県の石見銀山がユネスコの世界文化遺産に登録された。石見銀山は16世紀初めに発見され、その後、約400年間に渡って採掘された世界有数の銀山である。当時、日本は銀の産出国として知られ最盛期には世界の3分の1を占めるほどであったという。その主要産地である石見銀山は博多商人・神屋寿禎によって本格的な開発が始まるが、彼は朝鮮との交易を通じて積極的に技術の導入を試み、1533年に伝来した精錬技術「灰吹法」によって銀の産出量を飛躍的に伸ばしたという。「朝鮮王朝実録」によると1539年に柳緒宗という人物が日本人に鉛を精錬して銀を造る技術を教え処罰されたという記述があり、この頃、銀の精錬は門外不出の先端技術であったことがわかる。なかでも、もっとも重要な技術が1503年に朝鮮咸鏡南道端川で開発された「端川煉銀法」である。

Facebook にシェア
LINEで送る