公式アカウント

〈遺骨は叫ぶ 15〉秋田県・小坂鉱山・逃亡者捕らえられると袋叩きに

2008年06月23日 00:00 歴史

栄養失調で倒れ、亡くなる人続出

小坂鉱山内の道路。左側に朝鮮人を収容した飯場があった

小坂鉱山内の道路。左側に朝鮮人を収容した飯場があった

青森との県境近くにある小坂鉱山(秋田県鹿角郡小坂町)は、1861年に地元の人が発見した。南部藩が開発したが、のちに官有となったものの実績が上がらず、藤田組に払い下げられた。その後に黒鉱を生産したほか、露天掘りも開始して採掘鉱石が飛躍的に増加、「銅においては日本一、銀においては椿鉱山と首位」(「秋田県鉱山誌」)を争った。太平洋戦争初期の産銅奨励時代には、軍需工場として重要視されたが、機械や生産資材が不足し、徴用工・勤奉隊・学徒隊などを使った。それでも労働力が不足し、強制連行した多くの朝鮮人や中国人を使った。

小坂鉱山に朝鮮人がいつ頃から来たかは資料もなくはっきりしない。小坂鉱山で朝鮮人の飯場をやった金竜水は、毛馬内(現鹿角市)で、古鉄商をしている伯父を頼って来たあと小坂鉱山で働いたが、その時は鉱山に朝鮮人はいなかったという。1年くらいしてから飯場をやったが、本国から来た従兄弟や近くの朝鮮人を使った。それから1年くらいして、官斡旋・徴用の朝鮮人が来たのは1943年。その2年前に金竜水は小坂鉱山に来ているが、この証言によると朝鮮人が来たのは遅かった。

Facebook にシェア
LINEで送る