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〈遺骨は叫ぶ 14〉愛知・中島飛行機半田製作所・半田空襲で死亡した4割が朝鮮人

2008年05月26日 00:00 歴史

防空壕もなく避難命令伝わらず

雁宿公園の「平和記念碑」

雁宿公園の「平和記念碑」

愛知県半田市乙川地区は、大正期に海を埋め立てて水田が造成された所で、農業を中心とした人口7000人ほどの静かな村だった。1942年の夏、突然この村で工場と飛行場用地の買収が始まった。田畑を失いたくないと農民は反対したが、「戦争に協力しないのか」と圧力をかけられ、仕方なく農地を手放した。その土地に造られたのが中島飛行機半田製作所である。

中島飛行機は、中島知久平が1917年に創立した航空機製造企業で、群馬県の太田製作所、小泉製作所を中心に、陸・海軍機を製造していた。

1942年6月にミッドウェー海戦で敗北した軍部は、軍用機生産の増産を要望した。これを受けて中島飛行機は、工場の増設を計画した。また半田市では、軍需工場を誘致して地域の発展を図ろうとしていた。両者の利益が一致したため、42年8月に中島飛行機の海軍機製造工場としての半田製作所の起工式を行い、用地の買収が始まった。

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