〈遺骨は叫ぶ 12〉長野・平岡ダム・朝鮮人の累々たる屍の上に建設された
2008年03月21日 00:00 歴史山奥の飯場は杉皮と板でできた掘っ立て小屋
諏訪湖に源を発し、長野、愛知、静岡の3県を貫流して遠州灘に注ぐ天竜川には、多くの水力発電所用のダムがある。その中でも、最大規模を誇るのが平岡ダム(長野県下伊那郡天龍村)だが、日本人労働者のほかに、外国人たちの累々たる死屍の上に建設されたものだ。
平岡ダムは、太平洋戦争が始まる前の年の1940年に、その当時、軍需工場が集中していた名古屋方面に大量の電力を供給するという、戦争遂行のための国家的要請に応えるために着工した。事業主は、日本発送電株式会社、工事は熊谷組平岡作業所が請け負った。
しかし、日本人は招集や徴用にとられ、地元でもわずかしか雇用できないので労働力が不足した。