〈遺骨は叫ぶ 10〉北海道・雨竜ダム・未発掘の遺体そのまま、実態の解明急げ
2008年01月21日 00:00 歴史ダムの堰堤に犠牲者らを放置
戦時中に各地で盛んに造られたダムや発電所の工事に、たくさんの強制連行された朝鮮人が働かされた。どこの工事現場も機械の使用はほんの一部で、モッコ、リヤカー、トロッコを人力で動かして大工事を進めたため、犠牲者が多く出た。
北海道でもいくつかの大工事が行われた。その中でも「貯水池の大きさは北海道最大」であり、この貯水池を利用する雨竜発電所は「北海道最大の水力発電所」(北海道大百科事典)と言われた雨竜ダム(朱鞠内湖)の工事では、朝鮮人の犠牲が大きい。このダムは、天塩山地に源を発する雨竜川の上流部に建設された。この工事を施工した雨竜電力は、三井鉱山の傘下にあり、1928年から10年間の調査ののち雨竜ダム建設工事(37~43年)が行われた。工事は、五工区に分かれ、元請けは飛鳥組で、その下請に丹野組、谷組、柴田組、相沢組、長谷川組、安川組などが入っていた。
この工事に朝鮮人連行者が連れてこられたのは、39年からと言われ、最盛期には2千人から3千人が強制労働をさせられた。朝鮮人の飯場は、一棟に130人も入る大きなもので、窓には逃げないように鉄の桟がしてあり、出入口には、倉庫にかけるような大きな鍵をかけていた。「夜は頭を内側に、通路を挟んで両側に半分ずつねるんだけど、夜中じゅう、真ん中の通路を棒を持った監視人が行ったり来たりして見張っている」(尹永完)ので、隣の人と話をしても棒で殴られた。一つの飯場に監視人が30人から40人もいたという。