〈人物で見る朝鮮科学史 44〉世宗とその時代(3)
2007年12月07日 00:00 歴史不敬罪に問われた「最高の技術者」

徳寿宮の自激漏
東洋では水時計を「漏刻」と呼んでいたが、その原理は「播水壺」を高い所に置き、そこから水が一定の量と速さで流れ落ちるように工夫し、「受水壺」に溜まった量で時を計るというものである。この時、多くの場合は受水壺に「浮箭」と呼ばれる木製の浮きを置き、それが上に昇ってくる高さで時間を知った。蒋英実が1434年6月に製作した「自激漏」はその過程を自動化し、そこに取り付けられた人形が鐘や太鼓、銅鑼を打つようにして時刻を告げるようにしたものである(ただし、壺に水を組み入れるのは人力による)。これは、元代の順帝の命によって造られた水時計とアラビアの水時計の影響を受けているものの、それを飛躍的に発展させたものであった。そして、7月に自激漏は景福宮南側の「報漏閣」という建物に置かれ、公的標準時計として使用された。世宗はこの水時計は蒋英実でなければ造りえなかったと高く評価し、正4品「護軍」という官職を与えている。蒋英実亡き後は修理を行えるものがおらず1455年に使用が中断されたが、その後、中宗31年(1536年)に新しい自激漏が製作され、その一部が現在ソウル徳寿宮に保管されている。