Facebook

SNSで共有

〈朝鮮史から民族を考える 4〉朝鮮民族の形成発展(下)

開放的な前近代の「民族」意識

高麗千里長城城壁の配置図(「朝鮮遺跡遺物図鑑」10)

高麗千里長城城壁の配置図(「朝鮮遺跡遺物図鑑」10)

朝鮮民族の形成

中国の東方に位置する世界で、最も早く国家形成のメカニズムが始動するのは、朝鮮半島の西北部を中心とした地域であった。檀君朝鮮や箕子朝鮮の伝説の信憑性はともかく、紀元前4~3世紀にはこの地方に「朝鮮王」と称する首長が存在したことはまちがいなく、紀元前221年に秦が中国を統一した際、朝鮮王の否が始皇帝に使者を送っている。「魏志」東夷伝には、2世紀以前に中国東北部から朝鮮半島にかけて居住する東夷諸族の様子が詳しく記載されている。北方に夫余・高句麗、東北沿海地域に挹婁・東沃沮・濊、西北沿海地域に楽浪・帯方、南部に韓(馬韓・弁韓・辰韓)と分立していた。5世紀前後期には、北方や両沿海地域の諸族が高句麗に統合されていった。高句麗族と韓は、言語、慣習、交流関係から見て、同じ系統に属する民族集団と見ることができる。その後、高句麗・百済を統合した後期新羅、渤海の高句麗人を編入した高麗の強力な中央集権体制のもとで、朝鮮民族としての同質性はさらに強まっていった。

*************************************

※この続きは会員になれば閲覧できるようになります。

 会員の方は、右か下にある「ログイン」項目にてログインしてください。

 会員登録ご希望の方は、「新規会員登録」にてご登録をお願いします。

 大変申し訳ございませんが、2013年4月20日までに会員登録をしていただいた方も、再度ご登録をお願いいたします。

 パスワードを忘れた場合、「会員パスワード紛失窓口フォーム」をご覧ください。

*************************************

로그인(ログイン)