〈朝鮮史から民族を考える 4〉朝鮮民族の形成発展(下)
2007年11月15日 00:00 歴史開放的な前近代の「民族」意識
朝鮮民族の形成
中国の東方に位置する世界で、最も早く国家形成のメカニズムが始動するのは、朝鮮半島の西北部を中心とした地域であった。檀君朝鮮や箕子朝鮮の伝説の信憑性はともかく、紀元前4~3世紀にはこの地方に「朝鮮王」と称する首長が存在したことはまちがいなく、紀元前221年に秦が中国を統一した際、朝鮮王の否が始皇帝に使者を送っている。「魏志」東夷伝には、2世紀以前に中国東北部から朝鮮半島にかけて居住する東夷諸族の様子が詳しく記載されている。北方に夫余・高句麗、東北沿海地域に挹婁・東沃沮・濊、西北沿海地域に楽浪・帯方、南部に韓(馬韓・弁韓・辰韓)と分立していた。5世紀前後期には、北方や両沿海地域の諸族が高句麗に統合されていった。高句麗族と韓は、言語、慣習、交流関係から見て、同じ系統に属する民族集団と見ることができる。その後、高句麗・百済を統合した後期新羅、渤海の高句麗人を編入した高麗の強力な中央集権体制のもとで、朝鮮民族としての同質性はさらに強まっていった。