〈朝鮮史から民族を考える 2〉理論的問題(下)
2007年10月15日 00:00 歴史「われわれ意識」の下部構造
愛国心、祖国批判
いま、日本では、愛国心が国家主義にかすめ取られ、愛国でなければ反日であるという極端な言説が幅を利かしている。愛国心はパトリオティズムの日本語訳とされているが、その語源はパトリア(出生)を意味することから、本来は郷土愛、祖国愛のことをいう。しかし、日本では愛国心やナショナリズムを歴史的に非常に狭く理解しがちである。そこには次のような理由があるのではないか。
(1)「単一民族国家」観が郷土愛、祖国愛、国家愛へと延長拡大した愛国心を生んでいる。(2)国家への不服従、抵抗の経験が少なく、なおかつ、抵抗に対する公的な評価がなされていないため、抵抗の歴史が継承されにくかった。(3)侵略戦争、植民地支配を犯した日本近現代史をどれだけ学んでいるか。
ブッシュ大統領の自宅農場前などで抗議運動を行い、国際的に注目を集めた「反戦の母」インディ・シーハンさんは、反戦運動が共和、民主両党に政治的な駆け引きに利用され、駐留イラク米軍の撤退にめどが立たない状況を批判して、「ケーシ(息子)の死は無駄だった。(中略)さようなら、米国よ。あなたは私の愛する国ではなかった」と述べた。