〈人物で見る朝鮮科学史 38〉朝鮮王朝文化の幕開け(2)
2007年09月01日 00:00 歴史当代随一の文人といわれた権近
1395年の「天象列次分野之図」が高句麗の石刻天文図を基に作られたというのは、そこに刻まれた銘文から判明することである。さらに、そこには「論天」と題して蓋天説、渾天説など中国古来の6つの伝統的宇宙論が列挙されている。蓋天説は「天円地方」説ともいわれ四角の地の上に円い天があるという宇宙論で、三国時代にはすでに広く普及し、高句麗古墳壁画の天文図や新羅の瞻星台はそれをイメージしたともいわれている。渾天説はしばしば鶏卵に例えられ、殻が天でその中の海に地が浮かんでいるという宇宙論で、朱子学の宇宙観として両班知識人たちが是とした。両者が朝鮮時代前期までの基本的宇宙論といえるが、そこに転換が起こるのは西洋科学知識としての地動説の受容と17世紀の金錫文の宇宙論によってである。