〈人物で見る朝鮮科学史 37〉朝鮮王朝文化の幕開け(1)
2007年08月24日 00:00 歴史世界最古の石刻「天象列次分野之図」
高麗末期、政権内では大土地所有者である親元勢力と地方豪族出身の新興官僚層が対立、後者の中心に倭寇の撃退で大きな功績をあげた李成桂がいた。彼は明の軍を追い払う命を受け国境付近に進軍するが、威化島でとって返し反対勢力を排除、自身が王となり国号を朝鮮とした。1392年のことであるが、王朝が王氏から李氏に変わったことから「易姓革命」とも呼ばれる(そうすると次の「易姓革命」というのもありうるわけで、事実、朝鮮時代中期には次の王朝は鄭氏であると予言した「鄭鑑録」という本が流布している)。
東アジアでは伝統的に王は天によって選ばれたものが政事を行うと考えられており、歴代の王たちは天体の動きと天象の変化に大きな関心を傾けた。そこで当然のごとく天体観測が国家の重要事業となり、天を象徴する天文図の作成に力が注がれた。朝鮮王朝の太祖となった李成桂にとって幸運にも、唐・新羅連合軍との戦火の中で大同江に没した高句麗石刻天文図を献じた人がいた。それを基に新たな観測によって修正して1395年に作られたのが「天象列次分野之図」である。星座の配列を12に分けて順に並べた図という意味であるが、この名称は朝鮮独自のものである。ちなみに、日本には「貞亨暦」の作成者である渋川春海が作成した「天象列次之図」と「天象分野之図」があり、「天象列次分野之図」の影響を受けたものと考えられている。