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〈人物で見る朝鮮科学史 24〉新羅の科学文化(番外編)

2007年02月23日 00:00 歴史

慶州最高の教育の場

第2石窟庵の前で(筆者)

第2石窟庵の前で(筆者)

2002年11月、筆者は全北大・金根培教授の案内で新羅の古都慶州を訪れたことがある。釜山大で開催された韓国科学史学会で「科学史における近世」という題で招待講演を行った翌日のことである。市内をめぐる観光バスに乗り、瞻星台をはじめ芬皇寺、慶州博物館、雁鴨池、天馬塚をはじめ23基の古墳からなる大陵苑、鮑石亭址、金庚信将軍墓、多宝塔・釈迦塔がある仏国寺など、念願の遺跡、遺物を見学することができた。その時の感想は雑誌「イオ」に書いたことがあるので、今回はそこでは紹介できなかった新羅歴史科学館について書いてみたい。

慶州民俗工芸村の奥にある新羅歴史科学館は、その名の通り新羅の科学文化に関する遺跡、遺物を再現した博物館である。その代表的な展示物は石窟庵の模型で、5分の1の縮尺で本尊と全体を再現し、さらに10分の1の縮尺で内部および外部構造を説明するための7基の模型を展示している。本欄でも言及したように現在、石窟庵はその空調設備のためガラスで覆われ間近ではみることができない。そんななかで、この科学館の精巧な模型と解説は実に貴重といえる。筆者も時間の関係上、石窟庵までは見学できなかったが、この博物館の展示によってある程度は満足することができた。

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