公式アカウント

〈遺骨は叫ぶ 1〉発盛精錬所・朝鮮人労働者に血の制裁

2007年02月06日 00:00 歴史

東海に消えた「アイゴー、アイゴーの声」

発盛鉱山の銀を露天掘りした跡

発盛鉱山の銀を露天掘りした跡

「ここにもある。あっ、こっちにもある。」

十数人の報道関係者が騒ぎ出したのは、2006年12月8日の午後だった。場所は、秋田県山本郡八峰町八森の高台に広がる原野。夏場には一帯を覆いつくしていたイタドリや雑草が枯れていた。日本海から粉雪の強い風が吹きつけてくるなかをかき分けていくと、枯れ草の中に人の頭ほどの石が点々と散らばっている。戦時中、近くの旧発盛精錬所に強制連行されて働いた朝鮮人の墓だ。報道関係者がカメラのシャッターを切る音が続いた。

日本海から海抜20~80メートルの海岸段丘に発盛鉱山が見つかったのは、1888年のことだ。はじめから銀の産出が多く、のちに大規模な露天掘りをして飛躍的に生産が伸びた。1908年には、「坑夫一三六五人に及び、産銀一ヵ月最大五万トンに達し、単一鉱山として銀の産額は、日本に冠絶した」(「秋田県鉱山誌」)という。だが、富鉱部を掘り尽くしたあとは、たびたび休山を繰り返したが、五能線が開通してから鉱石の運搬が便利になり、住友合資の協力を得て、精錬設備を充実させ、他鉱山の鉱石を買収して精錬する発盛精錬所として再出発した。当時、鉱山が吐き出す煙害が各地で深刻な問題になっていたが、半分が海に面している発盛精錬所は被害が半減した。太平洋戦争中は、精錬所として経営が続けられた。

Facebook にシェア
LINEで送る