〈朝鮮史を駆け抜けた女性たち 4〉於于同
2004年09月27日 10:04 文化・歴史毒婦、妖婦、淫婦、悪女。朝鮮王朝九代王成宗(1457~1494)の治世、女性に「冠される」不名誉な呼び名を「ほしいまま」にしたのが、生没年不詳の於于同という女性である。
当時の高級官吏の家に生まれ、権勢と富のうちに育ち、その容貌は美しく、王家に連なる名門に嫁しながら、家に出入りの年若く美丈夫な銀細工職人と通じ、夫に発覚した挙句離縁される。美しい侍女と家を出た於于同は、しおれるどころかその「自由」を満喫する。夕暮れ時に美しい衣に身を包んだ侍女が、街中で美少年を物色しては於于同の所に誘った。今で言う、逆ナンパである。また月の明るい夜などは2人で出かけ、声をかけられるのを待ったという。