〈朝鮮近代史の中の苦闘する女性たち〉動画作家・羅惠錫(上)
2003年04月07日 00:00 歴史波乱に富む人生
羅惠錫は、著しく個性的な自分の世界を構築した「新女性」であった。
それは第一に、高羲東、金觀鎬、金瓉永に続いて日本で油絵を勉強し、ソウルで初めて個展(1921)を開催、「朝鮮美術展覧会」(鮮展)、東京の「帝国美術院展覧会」(帝展)にも連続入選した朝鮮最初の女性西洋画家であったこと。第二に、東京女子留学生親睦会を組織して機関誌「女子界」を創刊、その第2号(1918)に小説「瓊姫」を発表した、現代文学における最初の女性作家であること。第三に、1919年3.1独立運動に積極的に参加、5カ月間獄中生活を経験、「満州国」安東県副領事夫人という身分を利用して、国境を出入りする独立運動家の便宜を提供したり、女子夜学を開くなど、民族運動にもかかわったこと。第四に、日本女子留学生の一番手となった尹貞媛の「良妻賢母論」を否定、男女平等を主張(時論「理想的婦人」―学之光・1914)、1年8カ月の欧米旅行(1927~29)での見聞、体験にもとづき、既成概念から抜け出た自己のアイデンティティを公的領域で主張したこと。それから、才子・崔承九との恋愛、彼の急死、弁護士金雨英との計算された結婚、崔麟との恋愛、離婚、最後には世間の非難を浴び、誰にも看取られず死んでいった女性であったことから見て取れる。