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〈私が見たウリハッキョ〉「百聞は一見にしかず」の機会/島根県立大学国際関係学部・石田徹教授

2026年08月16日 09:00 私がみたウリハッキョ 主要ニュース

連載「私が見たウリハッキョ」では、朝鮮学校に関わりを持つ日本人有識者や支援者らが、自らの体験を通して感じた朝鮮学校の魅力や民族教育の意義について語ります。

執筆のためらい

本稿の執筆に際しては筆が重かった。はたして日本人の筆者が「ウリハッキョ」と言ってよいのか、在日コリアン社会に筆者が何を言えるのか、決めかねたからである。

朝鮮大学校(朝大)・朝鮮学校との交流を重ねる度に、日本政府、日本社会が植民地責任を果たしてないことへの日本人としての後ろめたさを感じる。大日本帝国最後の日(1947年5月2日)に外国人登録令(勅令)を出したことの狡さとサンフランシスコ平和条約発効10日前に一局長の通達で「国籍」を奪ったことの卑怯さとを思わずにはいられない。もし旧宗主国の責任として、当事者の基本的人権を尊重して「日本国籍」を剥奪せずにいれば、今とは違った―それが良い方か悪い方かは分からないが―社会になっていたのではなかったか。

今の朝鮮学校が今のようであるのは、語弊を怖れずに言えば日本社会がそのように強いているからであって、それに対して日本人がどうこう言える立場にはない。以上の後ろめたさやためらいが筆を重くし続けたのだった。

とはいえ、このためらいは、朝大・朝鮮学校と直に向き合って初めて湧き上がってきたものでもあり、交流活動は筆者にとって貴重な体験になっている。

「違い」への気づき

上述のためらいを抱えつつ、今年で5年目になる島根県立大学(県大)と朝大の交流活動を振り返る。

群馬の森朝鮮人追悼碑問題について朝大生がプレゼンし、それを島根県立大学の学生たちが聴講しているようす

総じて、県大生にとってやはり意味ある体験になっているようで(朝大生にとってもそうであればよいのだが…)、文字通り「百聞は一見にしかず」の確保すべき貴重な機会なのだろう。

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