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〈教員日記〉私の職責は / 金志成

2026年07月17日 09:00 主要ニュース 寄稿 教員日記 民族教育

「あと2年でソンセンニムは還暦なんですね。それじゃあ、お祝いしてあげるよ。なあ、みんなでお祝いしよう。」

授業中「還暦」につい話していると、私の還暦祝いのことで盛り上がった。無邪気に語らう十歳にも満たないこの子たちが、私は本当に愛おしい。教員生活37年。時の流れは速いものだ。

私が初めて教壇に立ったのは東海に面した舞鶴朝鮮初中級学校だった。この「ウリハッキョ」という空間が当時、京都・三丹地域では同胞コミュニティーの中心であった。しかし、すでに少子化、過疎化の影響で学生数が急激に減り始めていた。

京都市内や他府県から赴任した二十代の若き教員たちは、共に寮生活をしながら、民族教育の灯を消してはならないと、授業以外にもできることは何でもした。朝夕と遠距離通学のスクールバスを何十キロも運転し、夜は「児童教室」を開き日本学校に通う子どもたちにウリマルを教えた。休日も同胞社会のバトンを繋げるために青年会を再結成しようと地域を飛び回った。しかし、学生数減少の波を止められず舞鶴初中は門を閉じた。

現在も学生数が減少している。私が勤める京都朝鮮学園もしかり。この間、京都に二校あった中級部は一つに、四校あった初級部も二校になった。

(どうすればウリハッキョを守れるのか?)

37年、この問いの答えを私は探し続けている。

そんな中、コマチュック大会で舞鶴時代の同僚たちと再会した。みなオモニとなり、息子の応援に来ていたのだ。

「わたしら、がんばってんねんで。」

話を聞くとなんと一人は名古屋で、もう一人は神戸でオモニ会の会長をしているというではないか。若き頃、共に民族教育のために力を尽くした仲間たちが、地域や立場は違えども、今もウリハッキョを支えている。そうだ、校舎はなくなっても人と人とは繋がっているのだ…

京都、神戸、名古屋のウリハッキョに子どもを通わせている舞鶴初中級時代の同僚たち

還暦を目前とした私が、近ごろ最も力を注いでいることが「授業の質」をあげることだ。教員本来の職責は目の前の子供たちにしっかり教えることではないか。「学校が楽しい」という大前提として毎日の「楽しい授業」が必須だ。

「ウリハッキョに行ってよかった。」

「ウリハッキョに送ってくれてありがとう。」

卒業式で子供たちが親に心底こう伝えることを願う。そして、その子たちがまた親となり自分の子もウリハッキョに通わせる。このようなサイクルを再構築しなくてはならない。

今年、私が受け持ったクラスの保護者に舞鶴初中での教え子がいる。ウリハッキョを信じて送ってくれるその期待に応えられるよう、私は今日も職員室に残り授業の準備をする。「できた!」と喜ぶ子供の笑顔を思い浮かべながら。

(京都初級教員)