TODAY 2026年 08月 13日

〈読書エッセー〉晴講雨読・「哲学する」ってどういうこと?/任正爀

2026年05月13日 09:30 寄稿

前回取りあげた『ものの見方考え方』の増補版が出版されたのは1964年、『新哲学入門』はその約30年後の出版で、内容はそれぞれの時代を反映している。

では最近の哲学に関する本にはどのようなものがあるのか?

すぐに浮かんだのは内田樹の一連の著書であるが、ただ、それらは哲学というよりも現代思想と言うべきものかもしれない。

『水中の哲学者たち』

そこでネットで調べてみると、2021年に晶文社から出版された永井玲衣『水中の哲学者たち』がベストセラーになっていることを知り、近くの図書館で借りて読んでみた。確かに興味深い内容であったが、同時に不思議な本だなという印象を持った。そこで、身近においてじっくりと読み直そうと思っていたところ、ネットにサイン本が出ていたので購入した。

添えられている言葉が、「わかる」ってどういうこと? 「悪いこと」と「正しくないこと」どう違うの? つぐなうって何だろう?などと本によって異なり、筆者に送られてきた本には、「他人事」ってどういうこと?とあった。本稿の見出しを「『哲学する』ってどういうこと?」としたのは、それを真似てのことであるが、それが本書の主題と思われるからである。

全三章から構成され、第1章「水中の哲学者たち」は『晶文社スクラップブック』に連載されたもので、内容について次のような説明文が載せられている。

「海の中での潜水のごとく、ひとつのテーマについて皆が深く考え込み話し合う哲学対話。小学校、会社、お寺、路上、カフェ…様々な場で哲学対話のファシリテータを務める著者は、自らも深く潜りつつ『もっと普遍的で、美しくて、圧倒的な何か』を追いかけてきた。当たり前のものだった世界が、当たり前でなくなる瞬間、哲学現在進行中。『え? どういう意味? もっかい言って。どういうこと、どういう意味?』…世界の訳のわからなさを、わからないまま伝える、前のめりの哲学エッセー」

哲学対話とは少人数のグループが様々な事柄について意見を出し合うというもので、著者は「よくきく」「自分の言葉で話す」「『結局人それぞれ』にしない」を最低限のルールに設定し、ファシリテータ(参加者の発言を促し、議論を整理・合意形成へと導く進行役)として参加する。その経験談を綴っているが、とくに小学生の意見に、ある時は共感し、ある時は戸惑う著者の姿が微笑ましい。哲学者とは哲学研究者のみならず、さまざまな事柄について考え悩む人であり、それが「水中の哲学者」という表現に繋がっている。

第2章「手のひらサイズの哲学」は、美容師免許を持つ編集長が立ち上げたヘアカタログサイト「HAIR KATAROG.JP」に連載されたもので、哲学とは距離が遠い美容関係のサイトにこのようなエッセーを掲載した編集者の企画力に拍手である。著者は、哲学とはなんで?と問うことであり、学問というよりは行為や営みと表現したほうがいいのかもしれないと語っている。そして著者自身が身近な出来事から哲学的思索を深めて文章化し、それを実践している。

第3章「はい哲学科研究室です」は、研究者としてのブログで、前の二章に比べてちょっと専門的である。

著者のサインと言葉

さて、筆者が持った不思議な印象であるが、しばしばポエムあるいは童話を読んでいるような感覚に捉われたからである。それは「哲学エッセー」という自由自在な題材によるところが大きいが、同時に哲学は何らかの行動を促す役割を果たすものと考える筆者との認識の違いによるのだろう。

著者は2024年に『世界の適切な保存』(講談社)、25年に『さびしくてごめん』(大陸書房)を上梓しており、それらも読んでみた。

『世界の適切な保存』は月間文芸雑誌『群像』に掲載されたもので、前著に比べて社会政治的問題に関するものが多くなっており、その斬新な視点に感心した。

例えば「そのにおい」では、さまざまな場面での「におい」について語る。原爆投下後の「口で説明できないにおい」「戦場で死体が焼けるにおい」、東日本大震災時の津波現場の「ほこりっぽいにおい」、抗議デモでの「湿気を帯びた人々の汗のにおい」。著者はまさにその「におい」こそがその状況をもっともリアルに伝えるとする。そして、その「適切な保存」に頭を凝らす。

『さびしくてごめん』は、コロナ禍の時期に書かれた文章を収録したもので、日常の些細な出来事における自身の思いを語ったものである。とくに、日記はちょっと内向きであるが、哲学者としての著者の個性が際立っている。

著者のさまざまな思いに対する共感と自分にはない感性との出会い、エッセーの魅力である。最近、筆者はいろんな分野の人たちのエッセーに関心を向けているが、すでに本欄で取り上げたいと思うものが何冊かある。

さて、最後になったが「他人事」ってどういうこと?についてちょっと考えてみた。すぐに浮かんだのが、ドイツの反ナチ運動家であったマルティン・ニーメラー牧師の「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」という詩である。

ナチスが共産主義者を連れさったとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから

彼らが社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声をあげなかった。社会民主主義者ではなかったから

彼らが労働組合員らを連れさったとき、私は声をあげなかった。労働組合員ではなかったから

彼らが私を連れさったとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった

集会での発言内容を詩にしたもので、いろんなバージョンがあるらしいが、ここではネットのウィキペディアに掲載されているものを紹介した。

他人事と不条理に目をそらしていると、それが自分に降りかかってくるという貴重な教訓を伝えている。今の日本社会に置き換えてみれば、外国人への人権侵害を見逃していたら、一般市民がその当事者になっていた、というところだろうか。

(朝大理工学部講師)