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市民らがつくった友好のシンボル/高麗博物館の前史

2023年04月30日 09:00 主要ニュース 歴史

「つくる会」の事務局メンバーたち(大石忠雄さん提供)

「日本とコリア(韓国・朝鮮)の間の長い豊かな交流の歴史を、見える形であらわし、相互の歴史・文化を学び、理解して、友好を深める」ことを目的に、東京・新宿に開館した高麗博物館。これまで朝鮮半島と日本にまつわる多くのテーマがこの場所から発信されてきた。

開館当初から同館の運営を支えるのは、日本の市民らを中心とするボランティアで、まさに「市民の、市民による、市民のための博物館」である。

今年2月26日、その高麗博物館がいかにして設立されたのかを関係者らに聞く懇談の場が持たれた。企画したのは、年初に東京・稲城市で開催された「在日一世と家族の肖像」写真展in稲城で、実行委員会責任者をつとめた稲田善樹さん(83)だ。

同写真展「差別を問題としてだけ取り上げるのではなく、それを次世代たちが認識するための交流を進めたい」と格別な思いで臨んだ同氏。今回の場は、そんなかれが、かねてから地元・稲城市出身で、高麗博物館の設立に携わった小島淑子さん(83)に話を聞くことで、日本人と朝鮮人の交流を地域から再構築していきたいとの思いを抱いていたことがきっかけにあった。

「高麗博物館は日本と朝鮮半島の関係が分断された複雑な状況の中で設立された施設であり、文化の架け橋を担って設立された貴重な施設だから」(稲田さん)

難民から在日朝鮮人へ

小島淑子さん(左)と奈古直美さん

稲田さんをはじめとする市民らが、小島さんを囲み行われた懇談で、参加者たちはまず、2001年に開館した高麗博物館の歴史について確認していった。

高麗博物館は、在日朝鮮人である申英愛さんの新聞投稿(朝日新聞「論壇」―連行慰霊塔と朝鮮美術館建設を。1990年8月16日付)を契機に90年9月、稲城市で「高麗博物館をつくる会」が結成されたことがはじまりにある。その後、歴史博物館を市民らの手で作ろうとする動きは日本各地に広がりをみせるのだが、この運動を支えた一人が小島さんだった。

懇談の場に同席した奈古直美さん(74)によると、「つくる会」が結成される前に、すでに市民運動を展開していたという小島さん。その活動は、男女同権をテーマに行われた地域での夜間講座に参加した際、このまま解散するのはもったいないと学習会をはじめた10年前にさかのぼる。

学習会に参加したメンバーたちは「日本がどれだけ恵まれ、他民族を搾取してきたのか」など、日本という国の構造そのものを突き付けられ、「私たちにできることをやろう」と会を結成。それが、80年に結成された「難民と地球の緑を考える会」であった。

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