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短編小説「伜は前線でたたかっている」1/李相鉉

2023年04月12日 10:00 短編小説

(本編は、朝鮮戦争の戦略的後退期に当たる1950年秋、鴨緑江に近い慈江道の北部山間地域に位置する楚山郡にまで攻め入ってきた米、南朝鮮軍によって一時占領下にあった村の状況を、金萬基という愛国的な老人を中心に描写した作品。「朝鮮文学」1955年1月号に掲載された[編集部])

村は敵に占領されて5日目の朝を迎えた。人びとは不安につつまれていた。

村とはいっても平野地帯のように、家が密集している村落ではなかった。ここから楚山(慈江道の北部山間地帯にある鴨緑江に近い郡機関の所在地―訳者注)に通ずる街道までは3里もあったし、そこから楚山邑まではさらに8里の道のりであった。人びとはこの山間の部落をハンズンコルと呼んだ。そしてその右側のやや低い山を越えるとワリョン洞という部落がある。このように渭原邑から西南に位置しているこの二つの部落を、人びとはひとつの村として呼んできたものである。

険しい山にとりかこまれているハンズンコルの谷奥からしばらく下ると、山の南側の川のほとりに家が4、5軒立ち並び、そこからさらに峠をひとつ越えると、村びとたちが薬水場とよんでいる小さな泉がある。その泉から下の方に十数軒の家が仲よく並んでいる。そのあたりからいくらか街道寄りのやや小高い、見晴らしのきくところに、周りを土塀でかこんだ、「コ」の字型の大きな瓦葺きの家がある。その家のそばには深い井戸があり、古いしだれ柳がたっている。柳の木は中がほとんど空洞になってはいるが、それでも春ともなれば青々とした長い枝を風になびかせて、のどかな春の景色にひときわふぜいをそえる。だが、それもいまは葉がすっかり落ちて、枯れすすきをさかさに吊したような枝が風に揺れていて、荒涼とした感じをいっそう強くしている。

里人民委員会の事務所であったこの瓦葺きの家は、アメリカ軍がやって来てからは、「治安隊」の事務所になった。彼らは母屋を事務室にし、穀物倉庫や納屋、それから杵つき場などは「留置場」につかっている。

夜明けごろ、ハンズン広場の方角から聞こえたけたたましい銃声を耳にした「留置人」たちは、みなひとしく不安な目差しで互いに顔を見合わせた。

やがて「留置場」の扉のすきまから朝日が射し込むころ、ワリョン洞に住んでいる40才ほどの男が呼び出されていった。半時間ばかりすると、「治安隊」の連中は、まるで砂袋でもほうりこむように彼を「留置場」に投げ込んだ。彼は瀕死の状態であった。つづいてまた一人が呼び出されたが、彼も同様な状態で戻された。3番目の人が呼び出されていくと間もなく、銃声がひびいた。「留置人」たちは怒りの目つきで顔を見合わせ歯ぎしりした。

そのうちまた錠を開ける音がした。みんなの視線はいっせいに扉の方にそそがれた。開いた扉のすきまから殺気をおびた「治安隊員」の顔がのぞいた。

彼は、金萬基という爺さんの名を呼んだ。ふたたび扉が閉まり、がちゃんと錠をかける音がした。「留置人」たちは深いため息をつきながら、いま連れだされた爺さんのことを案じた。

(つづく)

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