公式アカウント

〈読書エッセー〉晴講雨読・戯曲『ゼロの記録』と『父と暮らせば』/任正爀

2023年03月22日 09:00 寄稿

過日、所用で広島を訪れた。科学史を研究する者にとってはすぐに原爆のことが頭をよぎり、なんとなく緊張感をもってしまう。それでも、この時は広島朝鮮初中高級学校学生を対象とした講演が仕事の一つであり、すこし肩の力を抜くことができた。講演内容は高級部生には「朝鮮の科学技術強国建設について」、中級部生には「朝鮮の切手の話」である。

『大橋喜一戯曲集』

翌日、原爆ドームを見学した。確かにその姿は原爆の惨禍を今に伝える遺産としては十分であるが、そこからどのような教訓を得るのかは人によって異なるだろう。

常識的範囲内で広島の原爆被害は知っていたが、それをより深刻に捉えるようになった一つの契機は京浜協同劇団による『ゼロの記録』である。「ゼロ」とは原爆のことで、この演劇は広島に原爆が投下された直後から1953年まで、街の開業医を主人公に友人の病院長をはじめとする周辺の人たちとの出来事を舞台にしたものである。原爆詩人といわれた峠三吉や、いち早く広島を取材しその惨状を世界に発信したバーチュット記者らも登場する。とくに、峠三吉は劇中にこの世を去り、しばしば彼の詩が朗読される。

原爆は三度、人を殺すといわれる。最初は熱、次に爆風、そして放射線である。原爆投下直後は熱と爆風による建物倒壊によって多くの犠牲者がでたが、しばらくすると激しい嘔吐と下痢を訴えたる人たちが増え、やがて死んでいく。医師たちはその原因を探るのだが、患者の白血球が異常に減少し、他方、未使用のレントゲンフィルムが感光している事実から放射線の影響であると考える。

そうするなか主人公の義弟で反戦思想を持つ医師が次のような考えに至る。

「実験じゃなかろうか―原子爆弾の―都市の破壊効果とそれから…考えたくないことだが、生物効果」。主人公はそこまではと否定するが、義弟がいう。「爆弾は、それを独占している者の、際限ない威嚇の武器となるはず…それは間もなく分るでしょう。勝利者がこの街をどのように扱うか…アメリカ政府が、軍が、科学者が」

Facebook にシェア
LINEで送る