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朝鮮学校の「過去・現在・未来」と私たち/「第四支援の会」が主催しイベント

2022年07月22日 12:20 民族教育

沿革展示室の見学後に行われた講演会

16日、「東京朝鮮第四幼初中級学校を支援する会」(以下、「第四支援の会」)が主催したイベント「朝鮮学校の『過去・現在・未来』と私たち」は、東京中高に昨年設置された沿革展示室の見学と講演会で構成された。

今回、イベントの開催場所が東京中高になったのはなぜか。その理由を尋ねると、鴻巣美知子事務局長は、こう答えた。

「『第四支援の会』では、2年前の準備委員会の発足に際し、東京第4初中卒業生の金哲秀さん(朝鮮問題研究センター副センター長)を講師に招き、同校や地域コミュニティーの歴史を聞いた。今回はそこからさらに枠を広げて、戦後、朝鮮学校がどのような扱いを受けてきたのか、皆で学習し理解しよう、そして地域の人々にも朝鮮学校の歴史を知ってもらおうと企画した」。

沿革展示室を見学する参加者たち

地域の朝鮮学校に寄り添おうとするとき、その学校にまつわる話を聞いただけでは歴史を認識したとは到底言えない―。「第四支援の会」のメンバーたちは、日本による朝鮮の植民地支配と、在日朝鮮人や朝鮮学校への弾圧の歴史を学ぶ必要性を強く感じ、昨年10月の総会後に主催する初のイベントを学習会にしようと決めたという。

そうして開催されたイベントで、参加者たちは、田中宏さんの講演を通じて、沿革展示室の見学同様に朝鮮学校の歴史を深く学んだ。

植民地主義と向き合う

講師の田中宏さん

田中さんは冒頭で、講演を頼まれた際には必ず言及するという自身の「原点」について紹介した。それは「80年半生の根っこの部分」と本人が降り返るほど、濃い経験をしたアジア文化会館での勤務時代のエピソードだ。

1963年のある日、留学生から当時千円紙幣に使われていた伊藤博文について「なぜ朝鮮民族の怒りを買い撃たれた伊藤博文を持ち出すのか。薄気味が悪い」と言われた同氏は、それについて「何も感じない自分と、彼らとの認識の差に気づいた」。この経験が、今日、在日外国人問題を考え、歴史に向き合おうと行動する同氏の「原点」であった。

また田中さんは、1965年12月28日の文部次官通達「朝鮮人のみを収容する教育施設の取扱いについて」に言及。同通達は、1965年の「日韓条約」締結後、当時の政府与党が「対朝鮮学校政策」として推進したもので、文部省(当時)は「朝鮮人としての民族性または国民性を涵養することを目的とする朝鮮人学校は、わが国の社会にとって、各種学校の地位を与える積極的意義を有するものとは認められない」として、朝鮮学校を「各種学校として認可すべきではない」という方針を明確化した。

これについて同氏は、「通達が発せられた一週間前に、人種差別撤廃条約が国連総会で採択されている。国連で『植民地主義に伴う差別』と闘うとして条約が出来ているとき、日本では植民地主義と深く結びつく朝鮮学校を、学校として認めないということを明確化した」と述べながら、「高校無償化からの朝鮮学校排除問題の淵源がここにあるのではないか」と、歴史的な文脈から考える必要性を説いた。

講演の終盤では、昨今の日本社会をめぐる重要な特徴として「日本の朝鮮学校差別の問題と重なるヘイトスピーチやヘイトクライム」をあげたうえで「高校無償化から朝鮮学校が完全に排除された13年2月というのは、新大久保でヘイトスピーチが吹き荒れた時期だった。ヘイトスピーチが流行語大賞にノミネートされたのもその年だ。レイシストの蛮行と官製ヘイトとしての朝鮮学校排除が共鳴している今の日本の姿が一番大きな問題だ」と警鐘を鳴らした。

沿革展示室を見学する参加者たち

田中さんは、結びとして「朝鮮学校が日本でどのような立場に置かれているのかを見れば、私たちが植民地主義とどう闘い、向き合っているのかが見える」と述べたうえで、植民地主義の克服が必須の課題であることを、参加者らへ強く語りかけていた。

(韓賢珠)

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