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〈心・技・体~アスリートの肖像 14〉ラグビー・梁正秋さん

2017年01月06日 16:44 スポーツ

「憧れの舞台に立つまで」/強気な姿勢で存在感放つ

ラグビートップリーグの名門、神戸製鋼コベルコスティーラーズで入団2年目にして、スクラムハーフのポジションでコンスタントに出場機会を掴んでいる。171cm、75kgながら、巧みな球さばきや闘争心あふれるディフェンスで存在感を放っている。「一喜一憂せずに自分のプレーに集中したい」と、新進気鋭の24歳に慢心はない。

勝利に飢え、厳しさを追求

東大阪中級ラグビー部の一員だった梁選手の目はピッチに釘付けになっていた。ノーサイドのホイッスルが鳴ると観客席の同胞たちは総立ちに。大歓声を送る先には、2003年に史上初の「全国大会」出場を勝ち取った大阪朝高ラグビー部の勇姿があった。

憧れを抱き、同部に入部。当時の監督は梁選手について「人一倍負けず嫌いで気性が荒かった」と語る。

梁正秋さん

梁正秋さん

高級部2年時の全国大会・府予選決勝、脳震とうでプレー続行にストップがかかっても頑なに聞き入れようとせず、肘の脱臼が回復したての復帰戦では2周り以上も体格の大きい外国人選手に対して敢然とタックルを浴びせ周囲を驚かせた。

3年時は前年に続き「花園」でベスト4に進出。「センスと闘争心を併せ持つタレントに大きな可能性を感じていた」という周囲の勧めで現役続行を決心し、関西大学リーグ1部で優勝経験がある京都産業大学へ。そこで荒削りな才能に磨きがかかる。

入部から2年間はチームが下位に低迷。なんとか残留を成し遂げたが現状を甘んじて受け入れることはできなかった。「絶対自分の力で強くしたる」。高級部時代の何倍も自主練習に時間を割き、パスに重点を置いて意識的に技術向上に取り組んだ。

当時の同級生は学業や生活面で規律が乱れており、人数も少なかったことで周囲から「最悪の世代」と囁かれていたという。梁選手にとっては屈辱的だった。4年で主将に選ばれると自分にも仲間にも一切の妥協を許さず「とにかく『厳しく』を心がけた」。

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