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「脱北」夫婦が平壌で記者会見

2012年11月16日 11:23 共和国

「将来に希望持てなかった」

【平壌発=鄭茂憲】2008年に南朝鮮に渡って約4年間生活し、今年9月に祖国に戻ってきた夫婦が8日、人民文化宮殿で国内外記者と会見した。

いわゆる「脱北者」と呼ばれる越南者が、祖国に戻って記者会見を開いたのは、今年6月(パク・チョンスクさん)に続いて2度目である。

記者会見を行ったのは、咸鏡北道茂山郡南山労働者区に住んでいたキム・グァンヒョクさん(27)と、咸鏡南道洪原郡南山里に住んでいた妻のコ・ジョンナムさん(29歳)。2歳になる息子もそばに連れていた。2人は、越境した経緯や南朝鮮での生活の実態、再び祖国に戻ろうと決めた動機などについて、涙ながらに語った。

 「仲介人」に騙され

キム・グァンヒョクさんは2008年3月に、コ・ジョンナムさんは同年9月にそれぞれ中国に不法出国、第三国を経由して南朝鮮に向かった。南朝鮮の国家情報院(国情院)が背後についた「仲介人」に、「南に行けば金儲けができる」とそそのかされたのだという。

(写真=周未來)

キムさん夫婦は、このような「仲介人」の悪質な正体について、また彼らの甘言とは裏腹に、南朝鮮で待っていた厳しい生活について打ち明けた。

「仲介人は、国情院の指示を受け、北側の住民を南朝鮮に誘引し、当局から金を受け取ったうえで、越南者からも金を巻き上げ、二重の金儲けをしている」「南朝鮮はお金中心の弱肉強食の社会。生き馬の目を抜く世知辛い社会だった。将来に希望すら見出だせなかった」

南での生活において、どこに行っても「脱北者」というレッテルや差別感情に満ちた視線がつきまとい、職を得ること自体も非常に困難だったという。

コさんは、南朝鮮当局は「脱北者」たちを社会に「順応」させるため、名目上の「生計費」を支出しているが、それは微々たる金額であり、結婚したり職に就いたりすれば、打ち切られてしまうものだと説明した。

キムさん夫婦も、結婚申告書を出した途端に「生計費」を打ち切られてしまった。まともな職にも就けず生活に困窮していた夫婦は、2カ月も経たずして、再び「生計費」を得るために形式上離婚せざるを得なかったという。

「わが子も祖国の懐に」

南朝鮮で失意に明け暮れていたキムさん夫婦にとって、息子の誕生は、今後に向けた大きな決断を迫られる出来事だった。「脱北者の息子」と蔑視されるような人生を送らせるわけにはいかない、そのような思いから、再び祖国に戻ろうと決心したという。

そんな中、夫婦は今年7月、金正恩第1委員長が平壌中心部に新設された慶上幼稚園を訪ねたというニュースにふれた。第1委員長が幼い子どもたちを懐に抱くようすを目の当たりにしたコさんは、「わが子も祖国の懐に抱かれるようにしたい」と、思いを強くしたという。

また、キムさん夫婦のように南朝鮮へと連れて行かれ、今年6月に再び祖国に戻ったパク・チョンスクさんの記者会見も、2人の決心を後押しするものとなった。

「たとえ罰を受けるとしても、祖国に戻ろうと決心した」(キムさん)

「母のこと気がかり」

夫婦は周囲に、「中国に行ってくる」とだけ告げ、南朝鮮を離れた。瀋陽を経て飛行機で祖国に戻ったキムさんら家族を、朝鮮の当局は寛大に受け入れた。住宅を手配するなど、彼らが再び生活を送れるよう、必要な措置も講じたという。

しかし、キムさんは共に南で暮らしていた母(90年代後半に越境して中国へ渡る。キムさんが南に呼び寄せた)を一人、南に残してきた。南当局に脱出計画が発覚することを恐れ、祖国に戻ることを母には明かせなかったのだという。

キムさんは、母のことが気がかりで仕方ないと涙ぐみながら、「いつか母と一緒に、祖国で暮らす日が来ることを信じている」と述べた。

(朝鮮新報)

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