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〈東京・祐天寺、遺骨名簿調査報告書 2〉ニセの遺骨箱まで作り

2005年06月09日 00:00 主要ニュース

解放後、父と一緒に連行され、九死に一生を得た同僚たちから父が日帝によって無残に殺されたとの悲報に接した母は、その場で気を失って倒れ、その翌年死亡した。その後、私たちは父の法事を遺骨もないまま行ってきた」と述べた。

犠牲者キム・ギルスンの弟キム・ギルリョン氏は「当時私の家は9人の大家族であった。生活は苦しかったが、父は兄のキム・ギルスンだけでも勉強させようと小学校に通わせた。ところが、私が8歳になる年の1943年に普天郡新興里山林組合長は、『徴兵』された自分の甥の代わりに小学校の卒業学年で勉強していた兄を『徴兵』に送った。その後、兄からは何の便りもなかったが1945年に日本の警察が兄の遺骨だと言って箱を私たちに渡した。東京の祐天寺に兄の遺骨がもう1柱あるというが、一体どうなっているのか分からない」と言った。

すでに発掘されたキム・ギルスンの名前が入っているもう一つの朝鮮人強制連行犠牲者名簿の死亡原因欄には、彼が1945年2月25日、日本の横浜市戸塚区でジフテリアによって死亡したと記入されている。

このような証言資料は、過去、日帝に強制連行された家族、親戚の生死も確かめられずに60余年間を送ってきた遺族の精神的苦痛がどれほど大きなものであり、朝鮮人強制連行犠牲者遺骨問題をめぐる日本当局の非人道的な行為こそ罪悪に新たな罪を上塗りする犯罪行為であることを物語っている。

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