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〈朝鮮近代史の中の苦闘する女性たち〉声楽家・尹心悳(上)

2003年07月14日 00:00 歴史

1926年8月4日未明、下関発の関釜連絡船上から声楽家の尹心悳が劇作家の金祐鎮と玄界灘へ身を投じて心中した。有望な朝鮮の若き芸術家が荒波の花となって散っていったこの情死を、当時新聞は連日センセーショナルに特筆大書した。

平壌のキ教家庭

尹心悳は1922年、上野音楽学校を卒業し、朝鮮人ではじめて本格的な歌手として活躍したが、その人気は大変なものだった。上野音楽学校卒業公演で「人形の家」のノラ役を好演し、当時帝国劇場支配人から150円給料の専属女優としてスカウトされたが、イタリア留学を夢見る彼女はこれを断った。彼女は音楽家志向であった。朝鮮の土壌の上に音楽の大輪を花咲かせたかった。

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