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〈渡来文化・その美と造形 33〉硯(1):羊型硯

文字を記録するためには紙、筆、墨、そして墨をする道具である硯は欠かせない。その硯が日本で出土するのは6世紀末頃からである。円形、花弁形、楕円形、「風」字形と多様で、8世紀に入ると鳥や羊などを形象した硯…

〈渡来文化・その美と造形 30〉茨田堤

茨田堤は記録に残された最古の堤防である。「日本書紀」仁徳天皇11(383)年10月条に茨田堤を築いたとある。 4~5世紀頃の大阪(北河内)平野は、西ノ海(大阪湾)が深く内陸に入り込み、平地中央部には「…

〈渡来文化・その美と造形 29〉狭山池

狭山池は、現在の大阪府狭山市の中央北寄りの、東の羽曳野丘陵と西の狭山丘陵との間に位置する。池の堤内側の斜面から5か所の須恵器の窯跡が発見されていることなどから、狭山池の築造は6世紀末~7世紀初頭のこと…

〈渡来文化・その美と造形 28〉昆陽池

昆陽池、瑞ヶ池、そして緑ヶ丘の上池・下池など灌漑用の池がある現在の伊丹市は、東の猪名川、西の武庫川に挟まれたなだらかな丘陵地帯で、池が造られるまで、北側では河川の洪水に苦しみ、南側では水不足に悩む地で…

〈渡来文化・その美と造形 27〉新羅善神堂、新羅明神

この堂の祭神は新羅明神である。伝承によると、天安2(858)年に智証大師円珍(814~891年)が唐から帰国する際、暴風にさらされて仏に祈ったところ、船中に1人の老翁が現れ、新羅明神と名乗って、「私を…

〈渡来文化・その美と造形 26〉オンドル

穴太遺跡の「大造り建物」(渡来人の住居)から1キロ南西で温突状遺構が良好な遺存状態で発見された。 オンドルは、現在も朝鮮半島で使われている床暖房のことである。その構造は簡単に説明すると、床下に石を数条…

〈渡来文化・その美と造形 25〉飛鳥寺・飛鳥大仏

仏教が百済から日本に公的に伝えられたのは538(聖王16)年である。 それに伴って、日本最初の本格的寺院、飛鳥寺(法興寺)の建設が587年に企画され、翌年(威徳王35年)百済から僧侶、寺工(大工)、露…