日本の古代、今の大阪市生野区を中心にして百済郡があった。諸資料によって715(霊亀元)年以前から833(天長10)年まで、その存在が確認できる。 「百済郡」であるから、もちろん百済からの渡来人が集住し [...]…
百済豊虫という渡来人が8世紀中葉の日本にいた。姓が「百済」であるのは、出自の国が百済であったからである。 「百済王」とか「百済朝臣」、「百済公」などの著名、有力な貴族の姓ではなく、ただ「百済」とのみ名 [...]…
奈良時代(ほぼ8世紀)の日本仏教は、すべての災いから国土を守るという鎮護国家の役割が非常に大きく、東大寺を筆頭に、全国に国分寺、国分尼寺が創建され、鎮護国家の祈願が盛んに行われた。 それに伴ない仏教経 [...]…
竈形土器とは炊飯具の土器で、ドーム型の前面をくり抜いて焚き口を、天井部分をくり抜いて鍋や釜を載せる掛け口とする。5世紀ごろの竪穴住居に竈が作りつけられ始める。これは実生活上のものである。 初期(5世紀 [...]…
日本の「白鳳時代」は、7世紀末、高句麗・百済の滅亡によって、朝鮮から技術者を含む多様な人々が大量に渡日することによって、日本文化の様相が大きく変容を遂げる時期であった。大化改新(645年)以後、奈良遷 [...]…
墨は紙、筆、硯とともに「文房四宝」と呼ばれ、文房具において重要な位置を占める。 日本における「墨・紙」についての記録は、『日本書紀』推古十八年(610)条に「高句麗王が僧・曇徴、法定を貢上す.能く紙墨 [...]…
〝墨〟をすり、筆で文字を書いたり絵を描くのは朝鮮、日本、中国特有の文化である。その墨をする道具が「硯」である。 平板な石などに煤をすって〝墨〟を作る道具として始まったものが、須恵器、陶製、石製の「硯」 [...]…
古代、遠くペルシャの文物が数多くシルクロードを経由して中国、朝鮮にもたらされ、そしてそれらの多くは直接的には朝鮮から日本に移入された。その中に碗、皿、杯、瓶などのガラス容器がある。 日本のガラス容器は [...]…
文字を記録するためには紙、筆、墨、そして墨をする道具である硯は欠かせない。その硯が日本で出土するのは6世紀末頃からである。円形、花弁形、楕円形、「風」字形と多様で、8世紀に入ると鳥や羊などを形象した硯 [...]…
奈良県斑鳩町・中宮寺に天寿国繍帳の残欠がある。現在は残欠であるが、本来は縦約2メートル、横約4メートルほどの帳2枚を横につないでいたものと考えられる。 622(推古30)年に聖徳太子が没した後、太子の [...]…