李桂筍は1914年11月15日、咸鏡北道明川郡の貧しい農民の家庭で生まれた 。生きるため家族は吉林省和龍縣徳新溝金谷村に移住し焼畑農業をし、どうにか生計を維持していた。村で一番貧しかった桂筍の家であっ [...]…
自由恋愛、近代学問との出会い 姜香蘭は1900年大邱で生まれた。14歳の時、他より若干遅く妓生になった香蘭は卓越した技芸で漢南一番の妓生として名を馳せた。17歳の時には、ソウルでその名が知られ道楽者た [...]…
仏教運動から社会主義運動へ 「朝鮮仏教青年会」は僧侶中心の活動団体であるのに対し、禹鳳雲が会長を務めた「仏教女子青年会」は新式教育を受けた在家女性中心という点において特殊であった。仏教女子青年会創立以 [...]…
社会主義思想と触れ合う 1920年代は多くの知識人が仏教に入門した。1919年3.1人民蜂起以後、社会主義運動の波が押し寄せる中、一部知識人が仏教に入門することが多々見られた。それに先立ち一人の新女性 [...]…
最大の民衆運動 済州島は民族運動史上、重要な位置を占める。 1932年に起こった「海女闘争」も注目されるべき民族抗争の一つである。それは抗争の主体が海女であったという事と共に、済州島ではこの「海女闘争 [...]…
女も義兵として立ち上がろう 尹熙順は1860年海州尹氏・尹翼商の長女として生まれる。しかし生まれて7日目に母を亡くし、9歳の時には育て親であった継母までも亡くした。16歳なった1876年、春川義兵長・ [...]…
独立万歳を叫んだ少女期 崔貞淑は1902年、初代済州地方裁判所法院長 、崔元淳の長女として生まれた。 彼女は9歳で済州神聖女学校に入学し、自身の一生を神に捧げることを誓い1913年に洗礼を受けた。当時 [...]…
苦難の時代の銀幕のスター 文芸峰の波瀾万丈な人生は、父親の持って生まれた芸術的センスと道楽によって物心つく前から始まっていた。 有名な流浪の劇団俳優であった父、文殊日はある日唐突に母への離婚を申したて [...]…
文通が機縁となって 当時「オリニ」雑誌を通じて登壇した作家に多くの童詩作家から手紙が送られてきたのだが、崔順愛にも同じように激励の手紙がたくさん送られてきた。この書信交換で最も熱心に行き交った相手が、 [...]…
朝鮮童謡の開拓期 朝鮮児童文学の特殊性は国を奪われた日帝植民地下で誕生したことと言えるだろう。当時朝鮮は形式上、表向きには近代化が成されていたが内部には相変らず前近代的な封建的習性が根強く残っており、 [...]…